懸けて、また同じ矢所をぞ射たりける、この矢に毒を塗りたる故にや依りけん、また同じ矢坪を、三度まで射たる故にや依りけん、この矢眉間の只中《ただなか》を徹《とお》りて、喉の下まで、羽《は》ぶくら責めてぞ立ちたりける、二、三千見えつる焼松も、光たちまち消えて、島のごとくにありつる物、倒るゝ音大地を響かせり、立ち寄りてこれを見るに、果して百足の※[#「虫+玄」、124−12]《むかで》なり、竜神はこれを悦びて、秀郷を様々に饗《もてな》しけるに、太刀|一振《ひとふり》、巻絹《まきぎぬ》一つ、鎧一領、頸|結《ゆ》うたる俵一つ、赤銅《しやくどう》の撞鐘《つきがね》一口を与へて、御辺の門葉《もんよう》に、必ず将軍になる人多かるべしとぞ示しける。
 秀郷都に帰つて、後この絹を切つて使ふに更に尽くる事なし、俵は中なる納物《いれもの》を、取れども/\尽きざりける間、財宝倉に満ちて、衣裳身に余れり、故にその名を、俵藤太とはいひけるなり、これは産業の財《たから》なればとて、これを倉廩《そうりん》に収む、鐘は梵砌《ぼんぜい》の物なればとて、三井寺へこれを奉る、文保《ぶんぽう》二年、三井寺炎上の時、この鐘を山門へ取り寄せて、朝夕これを撞きけるに、あへて少しも鳴らざりける間、山法師ども、悪《にく》し、その義ならば鳴るやうに撞けとて、鐘木《しもく》を大きに拵へて、二、三十人立ち掛りて、破《わ》れよとぞ撞きたりける、その時この鐘、海鯨《くじら》の吼《ほ》ゆる声を出して、三井寺へ往《ゆ》かふとぞ鳴いたりける、山徒いよ/\これを悪《にく》みて、無動寺《むどうじ》の上よりして、数千丈高き岩の上をば、転《ころ》ばかしたりける間、この鐘|微塵《みじん》に砕けにけり、今は何の用にか立つべきとて、そのわれを取り集めて、本寺へぞ送りける、ある時一尺ばかりなる小蛇来つて、この鐘を尾を以て扣《たた》きたりけるが、一夜の内にまた本の鐘になつて、疵《きず》付ける所|一《ひと》つもなかりけり云々。
 この鐘に似た事、支那にてこれより前に記された。予が明治四十一年六月の『早稲田文学』六二頁に書いた通り、『酉陽雑俎』(蜈蚣《むかで》退治を承平元年と見てそれより六十八年前に死んだ唐の段成式著わす)三に、歴城県光政寺の磬石《けいせき》、膩光《つや》滴《したた》るがごとく、扣《たた》けば声百里に及ぶ、北斉の時、都内に移し撃たしむるに声出
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