四図[#省略])。『孔叢子《こうそうし》』にこの獣|甘草《かんぞう》を食えば必ず蛩々《きょうきょう》とて青色馬《あおうま》に似た獣と※※[#前の「※」は「うまへん+巨」、後の「※」は「うまへん+虚」、97−3]《きょきょ》とて騾《ら》のごとき獣とに遺《のこ》す、二獣、人来るを見れば必ず蹶を負うて走る、これは蹶を愛するでなくて甘草欲しさだ、蹶も二獣の可愛さに甘草を残すでなく足を仮るためじゃとある、まずは日英同盟のような利害一遍の親切だ、『山海経《せんがいきょう》』に〈飛兎背上毛を以て飛び去る〉とあるも跳eらしい。
東洋でも西洋でも古来兎に関し随分間違った事を信じた。まず『本草綱目』に『礼記』に兎を明※[#「※」は「めへん+示」、97−8]《めいし》といったはその目|瞬《まばた》かずに瞭然たればなりとあるは事実だが兎に脾臓なしとあるは実際どうだか。また尻に九孔ありと珍しそうに書きあるが他の物の尻には何《いく》つ孔あるのか、随分|種々《いろいろ》と物を調べた予も尻の孔の数まで行き届かなんだ。ただし陳蔵器《ちんぞうき》の説に〈兎の尻に孔あり、子口より出づ、故に妊婦これを忌む、独り唇欠くためにあらざるなり〉、ただ尻に孔あるばかりでは珍しゅうないがこれは兎の肛門の辺《ほとり》に数穴あるを指《さ》したので予の近処の兎狩専門の人に聞くと兎は子を生むとたちまち自分の腹の毛を掻きむしりそれで子を被うと言った。牛が毛玉を吐く例などを比較してこの一事から子を吐くと言い出たのだろ。しかして支那の妊婦は兎を食うて産む子は痔持ちになったり毎度|嘔吐《は》いたりまた欠唇《いくち》に生まれ付くと信じたのだろう。『※雅[#「※」は「つちへん+卑」、97−16]』に咀嚼するものは九|竅《きょう》にして胎生するに独り兎は雌雄とも八竅にして吐生すと見え、『博物志』には〈兎月を望んで孕み、口中より子を吐く、故にこれを兎《と》という、兎は吐なり〉と出づ。雌雄ともに八竅とは鳥類同様生殖と排穢の両機が一穴に兼備され居るちゅう事で兎の陰具は平生ちょっと外へ見えぬからいい出したらしい、王充《おうじゅう》の『論衡《ろんこう》』に兎の雌は雄の毫《け》を舐《な》めて孕むとある、『楚辞』に顧兎とあるは注に顧兎月の腹にあるを天下の兎が望み見て気を感じて孕むと見ゆ、従って仲秋月の明暗を見て兎生まるる多少を知るなど説き出した。わが
前へ
次へ
全23ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング