尿に神効ありと。また予の乾児《こぶん》に兎糞を乾かして硬くなったのを数珠に造りトウフンと名づけて、田辺湾の名物で只今絶滅した彎珠の数珠に代えて順礼等を紿《あざむ》き売った者がある、何してでも儲くりゃ褒められる世の中には見揚げた心底じゃ。
(大正四年一月、『太陽』二一ノ一)

    (付) 兎と亀との話

 『太陽』雑誌の新年号へ「兎に関する民俗と伝説」という長篇を書いたがここには『太陽』へ出さなんだ事ばかり書く。
 第一に小学児童が熟知《よくし》った亀と兎の競争の話について述べよう、これは『イソップ物語』に出たものだ。イソップはギリシアの人で耶蘇《ヤソ》紀元前五百六十年頃生きておった名高い教訓家だが、今世に伝われる『イソップ物語』は決してそんな古いものでなくずっと後の人がイソップに托《かこつ》けて書き集めたものという、しかし何に致せ西洋話本の親方としてその名声を争うものはない、「亀と兎の競争の話」はこの物語に出た諸話の中もっとも名高い物で根気|能《よ》く辛抱して励めば非常の困難をも凌《しの》いで事業を成就し得る事を示したものだから気力ある若い人々が世間へ出る始めにこの話を額の立て物と戴《いただ》き真向《まっこう》に保持して進撃すべしと西洋でいう。この話に種々の異態がある、しかし普通英国等で持て囃《はや》すのはこうである。いわく兎が亀に会うて自分の足|疾《はや》きに誇り亀の歩遅きを嘲ると亀|対《こた》えてしからば汝と競争するとして里程は五里|賭《かけ》は五ポンドと定めよう、さてそこに聞いている狐を審判役としようと言うと兎が承知した。因って双方走り出したが兎はもとより捷疾だから亀が見えぬほど遠く駈け抜けた、ところで少し疲れたらしい、因って路傍の羊歯《しだ》叢中に坐ってうとうとと眠る、己れの耳が長いから亀がゴトゴト通る音を聞くが最期たちまち跳ね起きてまた走り抜きやるつもりだった、しかるに余り侮り過ぎて眠り過ぎた間に亀は遅いものの一心不乱に歩み走ってとうとう目的点へ着いたので兎の眼が覚《さ》めた時はすでに敗けいた。
 欧州外にもこれに似た話があるが件《くだん》の話と異なり、辛抱の力で遅い奴が疾い奴に勝ったのでなくて専ら智力の働きで勝ったとしている。サー・アレキサンダー・ブルドンがフィジー島人から聴き取った話に曰く、鶴と蟹とがどちらが捷《はや》いと相論じた、蟹が言うには何と
前へ 次へ
全23ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング