りポアジケア兵を挙げた時、后まず懐《ふところ》より兎を出しその動作を見て必勝と卜《うらな》い定め臣下皆そのつもりで勇み立ちてたちまちローマ方七万人を鏖殺《おうさつ》したがついに兵敗れて後は自ら毒を仰いで死んだ。これ古ブリストン人が兎を族霊として卜占に用いたのだとゴムは論じた。ただしかの后の当の敵たるローマ人また兎を卜に用い食用として殺さなんだ(ハツリット、同前)。熊楠その卜法の詳しきを知り得ぬが、プリニウス十一巻七三章にブリレツム辺等の兎は二肝あり他所へ移せば一肝を失うとあるを見るといわゆる肝卜法《アンチノボマンシー》をローマ人専ら兎に施したらしい。アボットの『マセドニア民俗』(一〇六頁)にアルバニア人のある種族は今に兎を殺さずまた死んだ兎に触れぬと見ゆ。キリスト教国で復活節に卵を彩り贈るが常で、英国ヨーク州ではこれを小さき鳥巣に入れて戸外に匿し児童をして捜し出さしむるに、スワビアでは兎の卵とて卵とともに兎を匿し、ドイツの諸部ではこの日卵焼の兎形の菓子を作る。わが邦にも古く伏兎という菓子あり、兎に似せた物と聞くが実否は知らぬ。復活節をイースターというはアングロ・サクソン時代に女神エストルをこの節祭ったから起る。思うにこの神の使物が兎で英国(ならびにドイツ等?)有史前住民の春季大祭に兎を重く崇《あが》めた遺風だろうとコックスが説いた(『民俗学入門《アン・イントロダクション・ツー・フォークロール》』一〇二頁)。熊楠|謹《つつし》んで攷《かんが》うるに、古エジプト人は日神ウンを兎頭人身とす、これ太陽|晨《あした》に天に昇るを兎の蹶起《けっき》するに比したんじゃ(バッジ『埃及諸神譜《ゼ・ブック・オブ・ゼ・エジプシアンス》』巻一)。兎を月気とのみ心得た東洋人には変な事だ。コックス説に古アリア人の神誌に、春季の太陽を紅また金色の卵と見立て、後《のち》キリスト教興るに※[#「※」は「しんにょう+台」、110−9]《およ》びこれを復活の印相としたとい、。しからば古欧州にもエジプト同前日を兎と見立てた所もあって卵と見立てたのと合併して、只今|復活節《イースター》にいわゆる兎の卵を贈りまた卵焼の兎菓子を作る事となったのであろう。けだし冬以来勢い微《かす》かなりし太陽が春季に至ってまた熾《さか》んなるを表示したのだ。老友マクマイケル言いしはドイツでは村人この日兎を捕え殺して公宴を張る所多
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