二※[#「※」は「『契』の上の部分+虫」を上下に組み合わせる、104−6]《つめ》のみで行《ある》かせたり蠅の背中に仙人掌《サボテン》の刺《とげ》を突っ込み幟《のぼり》として競争させたり、警察官が婦女を拘留して入りもせぬ事を根問《ねど》いしたり、前和歌山県知事川村竹治が何の理由なく国会や県会議員に誓うた約束をたちまち渝《ほぐ》して予の祖先来数百年奉祀し来った官知社を潰しひとえに熊楠を憤《おこ》らせて怡《よろこ》ぶなどこの類で、いずれも仏眼もて観《み》れば仏国のジル・ド・レッツが多数の小児を犯姦致死して他の至苦を以て自分の最楽と做《な》したに異ならぬ。川村の事は只今《ただいま》グラスゴウ市の版元から頼まれて編み居るロンドン大学前総長フレデリク・ヴィクトル・ジキンス推奨の『南方熊楠自伝』にも書き入れ居るから外国までの恥|曝《さら》しじゃ。とにかくかかる残忍性多き者が平気でおらるるこの世界はまだまだ開明などとは決して呼ばれぬべきはずだ。さて一寸の虫にも五分の魂でマヤースの『ヒューマン・パーソナリチー』に犬にも幽霊ある事は予も十数年研究していささか得たところあるが不幸にも観る人の心を離れて幽霊という物ある証拠を一も得ない。しかしもし人に幽霊あらば畜生にも幽霊あるべしで、『淵鑑類函』四三一に司農卿|揚邁《ようまい》が兎の幽霊に遇った話を載せ、『法苑珠林』六九に王将軍殺生を好んでその女兎鳴の音のみ出して死んだとある。
 『治部式《じぶしき》』に支那の古書から採って諸多の祥瑞を挙げた中に赤兎上瑞、白兎中瑞とある、赤兎はどんな物か知らぬが、漢末に〈人中に呂布あり馬中に赤兎あり〉と伝唱された名馬の号から推すと、まずは赤馬様の毛色の兎が稀《まれ》に出るを上瑞と尊んだのだろ、『類函』に〈『後魏書《こうぎしょ》』、兎あり後宮に入る、門官検問するに従って入るを得るなし、太祖|崔浩《さいこう》をしてその咎徴《きゅうちょう》を推せしむ、浩|以為《おもえ》らくまさに隣国|嬪※[#「※」は「おんな+嗇」、105−8]《ひんしょう》を貢する者あるべし、明年|姚興《ようこう》果して来り女を献ず〉すなわち白兎は色皙の別嬪が来る瑞兆《しるし》で、孝子の所へも来る由見え、また〈王者の恩耆老に加わりまた事に応ずる疾《はや》ければすなわち見《あらわ》る〉とあって、赤兎は〈王者の徳盛んなればすなわち至る〉と出《い》
前へ 次へ
全23ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング