Nすべしという、虎も獅も栖より起き出る時かようにするが癖だから今まで何とも気に懸けなんだが、野干の告げに心付いて注意しおると獅巣から出るとて右のごとく振舞う虎も起き出てかく動作した、各さては彼我を殺すつもりと気色立ったが獅心中に虎は我より弱きに我を殺さんと思い立つとは不思議だ、仔細ぞあらんと思い直し、虎が性質敏捷勢力最勝の我に敵せんとは不埒《ふらち》だと言うと、虎も獅子が性質敏捷勢力最勝の我に敵せんとは不埒だと言った、獅虎にかかる言を誰に聞いたかと詰《なじ》ると野干が告げたと答う、虎これを獅に詰るとやはり野干が告げたと答う、獅さてはこの者が不和の本元だと合点してやにわに野干を打ち殺したとある。また同書に同じ話の異態なものを挙げて牝獅が牝牛を殺し栖へ牽《ひきず》り往くと牛の乳呑児が母の乳を慕い追い来る、牝獅これをも殺そうと念《おも》うたが我子の善い遊侶と思い直し乳養して両《ふたつ》ながら育て上げ、死際《しにぎわ》に汝らは兄弟なり必ず讒誣《ざんぶ》に迷わされて不和を生ずるなと遺誡したが、前話同様野干の讒言を信用してどちらも反省せず相闘うて双《ふたつ》ながら死んだとある、わが邦で従来野干を狐の事と心得た人が多いが、予が『東京人類学会雑誌』二九一号三二五頁に述べたごとく全く狐と別で英語でいわゆるジャッカルを指《さ》す、梵名スリガーラまたジャムブカ、アラブ名シャガール、ヘブライ名シュアルこれらより転訛して射干また野干と音訳されただろう、『松屋筆記』六三に「『曾我物語』など狐を野干とする事多し、されど狐より小さきものの由『法華経疏』に見ゆ、字も野※[#「※」は「むじなへん+干」、57−4]と書くべきを省きて野干と書けるなり云々、『大和本草』国俗狐を射干とす、『本草』狐の別名この称なし、しかれば二物異なるなり」といい、『和漢三才図会』にも〈『和名抄』に狐は木豆弥《キツネ》射干なり、関中呼んで野干と為《な》す語は訛なり、けだし野干は別獣なり〉と記す、※[#「※」は「むじなへん+干」、57−7]の音岸また※[#「※」は「りっしんべん+干」、読みは「かん」、57−7]、『礼記』玉藻篇に君子|※[#「※」は「鹿+弭を上下に組み合わせる」、57−7]裘青※[#「※」は「むじなへん+干」、57−8]褒《べいきゅうせいかんのたもと》、註に胡地の野犬、疏に〈一解に狐犬に作る〉、狐に似た犬の意だろ、『爾雅』註に拠れば※[#「※」は「むじなへん+干」、57−9]は虎属らしい、『本草綱目』に※[#「※」は「むじなへん+干」、57−9]は胡地の野犬状狐に似て黒く身長七尺頭に一角あり老ゆれば鱗あり能《よ》く虎豹蛟竜銅鉄を食う猟人またこれを畏るとある、インドにドールとて群を成して虎を困《くる》しむる野犬あり縞狼《ヒエナ》の歯は甚だ硬いと聞く、それらをジャッカル稀に角ある事実と混じてかかる談が生じただろう。西北インドの俗信にジャッカル額に角あるはその力で隠形の術を行うこれを截《き》り取りてその上の毛を剃って置くとまた生えると(一八八三年『パンジャブ・ノーツ・エンド・キーリス』三頁)。テンネントの『錫蘭博物誌略《ゼ・ナチュラル・ヒストリー・オヴ・セイロン》』三六頁以下に著者この角を獲て図を掲げいわく、土人言うジャッカルの王のみ後頭に一角あり長さ僅かに半インチ毛茸に被わる、これを持つ者百事望みのままに叶いこれを失いまた窃《ぬす》まるるも角自ずと還る、宝玉と一所に蔵《おさ》むればどんな盗賊も掠め得ず、またこの角を持つ者|公事《くじ》に負けずとあって、毎度裁判に負け続けた原告がこの角を得て敵手に示すと、とても勝ち得ぬと臆して証言を改めたんで原告の勝となったと載す、とにかく周の頃すでに※[#「※」は「むじなへん+干」、58−3]てふ野犬が支那にあったところへジャッカル稀に一角ある事などをインド等より伝え、名も似て居るのでジャッカルを射※[#「※」は「むじなへん+干」、58−4]また野干と訳したらしい、『博物新篇』などには豪狗と訳しある、この野干は狼と狐の間にあるようなもので、性質すこぶる黠《ずる》く常に群を成し小獣を榛中に取り囲み逃路に番兵を配りその王叫び指揮して一同榛に入り駆け出し伏兵に捕えしむ、また獲物ある時これを藪中に匿しさもネき体《てい》で藪外を巡り己《おのれ》より強きもの来らざるを確かめて後初めて食う、もし人来るを見れば椰子殻《やしがら》などを銜《くわ》えて疾走し去る、人これを見て野干既に獲物を将《も》ち去ったと惟《おも》い退いた後、ゆっくり隠し置いた物を取り出し食うなど狡智百出す、故に仏教またアラビア譚等多くその詐《いつわり》多きを述べ、『聖書』に狐の奸猾を言えるも実は野干だろうと言う、したがって支那日本に行わるる狐の譚中には野干の伝説を多分雑え入れた事と想う、『今昔
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