闊齠ケ士を銜《ふく》み出づるを射しが中《あた》らず、翌日竭忠大いに太子陵東の石穴中に猟し数虎を格殺《うちころ》した、その穴に道士の冠服遺髪甚だ多かったと見ゆ。後漢の張道陵が蟒《うわばみ》に呑まれたのをその徒が天に上ったと信じたのにちょっと似て居る。
(五) 仏教譚
仏教も虎もインドが本元故、虎に関する伝説や譬喩や物語が仏教書に多い、釈尊の前身も毎度虎に関係したと見えて、北涼の法盛訳『菩薩投身餓虎起塔因縁経』に拠れば如来前身|乾陀摩提国《かんだまじこく》の栴檀《せんだん》摩提太子たり、貧民に施すを好み所有物一切を施し余物なきに至り、自身を千金銭に売って諸貧人に施し他国の波羅門の奴たり、たまたま薪を伐りに山に入って牛頭《ごず》栴檀を得、時にその国の王癩病に罹り名医の教に従い半国を分け与うべしと懸賞して牛頭栴檀を求む、波羅門太子に教えこの栴檀を奉って立身せよという、太子往きて王に献《たてまつ》り王これを身に塗って全快し約のごとく半国を与うるも受けず、その代りに王に乞うて五十日間あまねく貧民に施さしむ。王その志を感じ布施五十日の後多く銭財を附けて本国に送り還す、太子国に帰りてことごとく銭財を貧民に施し父母と妃の止むるを固辞し、山に入って仙人に従学す、母夫人時々美膳を送りて供養す、太子が修道する山の深谷に牝虎あり、新たに七子を生む、時に大雪降り虎母子を抱き三日食を求むれども得ず、飢寒極めて虎母その子を※[#「※」は「くち+敢」、38−9]《くら》わんとす、五百の道士これを見て誰か能く身を捨て衆生を救わんと相勧む、太子聞きて崖頭に至り虎母子を抱いて雪に覆われたるを見、大悲心を発し寂然定《じゃくねんじょう》に入りて過去無数|劫《こう》の事を見、帰って師に語るらく、われ昔願あり千身を捨てんと、すでにかつて九百九十九身を捨てたれば、今日この虎のために身を捨てて満願すべしと、師曰く卿《けい》の志願妙なり必ずわれに先だちて得道すべし、得道せばわれを遺《わす》るるなかれと、師と五百道士と涕泣して太子を送り崖頭に至れば、太子種々その身の過悪を訶責し今我血肉を以てかの餓虎を救い舎利骨のみ余《のこ》されん、わが父母後日必ず舎利を収めて塔を建て、一切衆生の病《やまい》諸薬針灸癒す能わざる者来りてわが塔を至心供養せば、即日必ず除癒《なおる》を得んと誓い、この言虚しからずば諸天|香華《こうげ》を雨《ふら》さんと言うに、声に応じて曼陀羅花降り下り大地震動と来た、太子すなわち鹿皮衣を解きて頭目を纏い、合手して身を虎の前に投じ母虎これを食うて母子ともに活《い》くるを得た、王夫人の使|飲食《おんじき》を齎し翌日来ってこの事を聞き走り帰って王に報じ、王人をして太子の骨を拾わせ舎利を取って平坦地に七宝塔四面縦貫十里なるをNし四部の妓人をして昼夜供養せしめたとあるから芸者附きの大塔で、この塔今もあり癩病等の重患者貴賤を問わず百余人常に参籠《さんろう》す、身を虎に施した太子はわが先身、師の仙人はわが次に成道《じょうどう》すべき弥勒菩薩だ、われ衆生を救うため身を惜しまなんだから、昔時以来常に我師たりし弥勒に先だつ事九劫まず成道したわやいと仏が説かれた、『大智度論』にはこの時太子の父母子を失って目を泣き潰したとあって、父母を悩ませ虎にも殺生罪を獲せしめたは不都合ながら、自分の大願を満たすため顧みなんだと論じ居る。また古インドに自撰《スワヤムヴヤラ》とて多くの貴公子を集め饗応した後王女をしてその間を歩かせ、自分の好いた男に華鬘《けまん》や水を授けて夫と定めしめた、『ラマヤナム』にミチラ王ジャナカ婿を定めんとて諸王子を招き競技せしめた時、ラマ強弓を彎《ひ》いたので王の娘シタがこれを夫と撰定したとある、仏悉達太子と言った時瞿多弥釈女が自撰の場へ行くと、釈女五百の釈種童子を嫌うて太子を撰んで夫とした、仏最初得道の時優陀夷その因縁を問いしに仏答えていわく、昔雪山下に雑類無量無辺の諸獣ありて馳遊す、かの獣中に一つの牝虎あり端正無双諸獣中に比類するものなし、諸獣その夫たらんと望む、相いいて曰く汝ら且《しばら》く待て共に相争うなかれ、かの牝虎の自選を聴《ゆる》せと、時に一牛王あり牝虎に向いて偈《げ》を説く、〈世人皆我の糞を取り持ち用いて地に塗りて清浄と為す、この故に端正なること※[#「※」は「うし+孛」、読みは「うし」もしくは「めうし」、40−2]虎に賢《まさ》れり、まさに我を取りて以て夫と為すべし〉、牝虎答うらく〈汝項斛領甚だ高大、ただ車を駕しおよび犁《すき》を挽くに堪えたり、いかんぞこの醜き身形をもてたちまち我がために夫主とならんと欲するや〉、また一大白象あり牝虎に向いて偈を説く、〈我はこれ雪山の大象王なり、戦闘我を用いて勝たざるなし、我既にこの大威力あり、汝今何ぞ我が妻とならざ
前へ
次へ
全33ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング