す》み隠すのみか、猟師の舎に入って毛氈鉄砲|薬鑵《やかん》小刀その他一切の什具を盗み去って諸処に匿すのだ、これらは食うためでないからただただ好奇心から出る事と知らる(ウット『博物画譜《イラストレーテット・ナチュラル・ヒストリー》』巻一、『大英類典《エンサイクロペジア・ブリタニカ》』十一版、巻十二)。言わばこの獣は人間に窃盗狂《クリプトマニア》に罹ったように心性が窃みの方に発達を極め居るのだ。因って想うに虎や獅や米獅は時として友愛の情が甚だ盛んな性質で、自分を助けくれた人を同類と見做し、猫や梟同前手柄自慢で種々の物を捉えて見せに来る、特に礼物進上という訳でないが、人の立場から見るとちょうど助けやった返礼に物を持ち来てくれる事となるのだろう。
 わが国で寅年に生れた男女に於菟《おと》という名を付ける例がしばしばある、その由来は『左伝』に楚の若敖《じゃくごう》、※[#「※」は「云+おおざと」、27−16]《うん》より妻を娶り闘伯比を生む、若敖卒してのち母と共に※[#「※」は「云+おおざと」、27−16]に畜《やしな》わるる間※[#「※」は「云+おおざと」、27−16]子の女に淫し令尹《れいいん》子文を生んだ、※[#「※」は「云+おおざと」、28−1]の夫人これを夢中に弃《す》てしむると、虎が自分の乳で子文を育った、※[#「※」は「云+おおざと」、28−2]子|田《かり》して見付け惧れ帰ると夫人実を以て告げ、ついに収めて育った、楚人乳を穀《こう》虎を於菟という、因って子文の幼名を闘穀於菟《とうこうおと》すなわち闘氏の子で虎の乳で育った者といったと見ゆ。ロメーンスの『動物知慧論《アニマル・インテリジェンス》』に猫が他の猫を養い甚だしきは鼠をすら乳する事を載せ、貝原益軒も猫は邪気多きものだが他の猫の孤《みなしご》をも己れの子同様に育つるは博愛だと言った。虎も猫の近類だから時として人や他の獣類の子を乳育せぬとも限らぬであろう。参考のため狼が人の子を乳育する事について述べよう。誰も知るごとくローマの始祖ロムルス兄弟は生れてほどなく川へ流され、パラチン山の麓に打ち上げられたところへ牝狼来て乳育したと言い伝う。後世これを解くにその説|区々《まちまち》で、中にはローマで牝狼をも下等娼妓をも同名で呼んだから実は下等の売淫女に養育されたんだと言った人もある、それはそれとしておき狼が人児を養うた例はインドや欧州等に実際あるらしい、一八八〇年版ポールの『印度藪榛生活《ジャングル・ライフ・イン・インジア》』四五七頁以下に詳論しある故少々引用しよう。曰くインドで狼が人子を乳した例ウーズ州に最も多い、しかしてこの州がインド中で最も狼害の多い所でまず平均年々百人は狼に啖《く》わる。スリーマン大佐の経験譚によればその辺で年々小児が狼に食わるる数多きは狼窟の辺で啖われた小児の体に親が付け置いた黄金《きん》の飾具を聚《あつ》めて渡世とする人があるので知れる、その人々は生計上から狼を勦滅《とりつく》すを好まぬという。一八七二年の末セカンドラ孤児院報告に十歳ほどの男児が狼※[#「※」は「あなかんむり+果」、28−16]より燻《ふす》べ出された事を載せた。どれほど長く狼と共に棲んだか解らぬが、四肢で行《ある》く事上手なと生??nむところから見ると習慣の久しきほとんど天性と成したと見える、孤児院に養われて後も若き狗様《いぬよう》に喚《うな》るなど獣ごとき点多しと載せた。また一八七二年ミネプリ辺で猟師が狼※[#「※」は「あなかんむり+果」、29−3]から燻べ出し創《きず》だらけのまま件の孤児院に伴れ来た児は動作全く野獣で水を飲む様狗に異《かわ》らず、別けて骨と生肉を好み食う、常に他の孤児と一所に居らず暗き隅に竄《かく》る、衣を着せると細かく裂いて糸と為《な》しおわる、数月院にあって熱病に罹り食事を絶って死した。今一人狼※[#「※」は「あなかんむり+果」、29−6]より得られこの院に六年ばかりある児は年十三、四なるべし、種々の声を発し得るが談話は出来ず喜怒は能《よ》く他人に解らせ得、時として少しく仕事をするが食う方が大好きだ、追々生肉を好まぬようになったが今なお骨を拾うて歯を磨《と》ぐ、これら狼※[#「※」は「あなかんむり+果」、29−9]から出た児が四肢で巧く歩くは驚くべきもので、物を食う前に必ずこれを嗅ぎ試むとある。著者ポール氏自らかの孤児院に往きてその一人を延見《ひきみ》しに普通の白痴児の容体で額低く歯やや反《そ》り出《で》動作軽噪時々歯を鳴らし下顎|攣《ひき》つる、室に入り来てまず四周《ぐるり》と人々を見廻し地板《ゆかいた》に坐り両掌を地板に較《の》せ、また諸方に伸ばして紙や麪包《パン》の小片《かけ》を拾い嗅ぐ事猴のごとし、この児|痩形《やせがた》にて十五歳ばかりこの院に九
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