ス。これらいずれも古くかつ稀有の例だが、インド人が虎を怖れ種々迷信を懐くも最もなりと察するに足る」と。その動物崇拝の条には、ヒンズー教でシヴァとその妻ズルガ二神虎と縁あれど、虎崇拝は野民諸族に行わるといえり、普通にシヴァ像は虎を印号としその皮を腰巻とし、ズルガは右足を獅の背に乗す、ネパル国には虎祭り(バグ・ジャトラ)あり、信徒虎装して踊る、ハノイと満州にも虎神あり、インドのゴンド人はワグ・ホバを、クルク人はバグ・デオを奉ず、いずれも虎神だ、ビル人またワギア(虎王)を祀るにあるいは石塊あるいは虎像を拝す、一英人ビル族二人藪の隅の虎王族を詈るを立ち聞くと「此奴《こやつ》己《おれ》が豆と羮《あつもの》と鶏を遣ったに己の水牛を殺しやがった」、「己は鶏三羽と山羊《やぎ》一疋遣ったに己の児を捉えくさった、この上まだ何ぞ欲しいか破落戸《ごろつき》め」と喚《わめ》きおったと(バルフォール『印度事彙』三)。神もかくなりては日本の官吏同様さっぱり値打ちがねえ、インド、ニールゲリ山間にわずか八百人ほど残れるトダ人は、男子に毛が多い事その他アイヌ人に近いという、水牛を豢《こ》うて乳を取るを専務とする、その伝説に昔は虎が昼間水牛を守り夜になって退いた、しかるに一日腹|空《へ》る事甚だしくついに腹立つ事甚だし、職掌柄やむをえず夕方水牛を村へ連れ帰る途上、猫に逢うて餌肉を少し分けてくれと頼むと、猫笑って※[#「※」は「にんべん+爾」、67−6]《なんじ》ほどの愚物はあるまい、何故自分で番しおる水牛を啖《く》わぬかと言った、これまで毎夜村に寝た虎がその夕森に之《ゆ》き、夜中に村に入って水牛一つを盗みそれから毎《いつ》も水牛を食う事となった(リヴ@ースの『トダ人族篇』四三一頁)。この書に拠るに以前はトダ人が虎に逢うと礼し、またトダ婦人は虎が殺された時その前に膝突き自分の額を虎の鬚に触れたらしい、インドのサンタル人は虎の皮に坐して誓うを最も重大の誓いとす、これは和歌山で以前小児の誓言に親の頭に松三本と言うを親が聞いて何の事と分らずに非常に叱った、如《も》し誓いを渝《か》えたら親が死んで土に埋り腐って松三本生えるという意と聞いたごとく、サンタル人はもと虎を祖先と信じたのかと思う。『淵鑑類函』三二〇に『河図《かと》』を引いて五方の神名を列ね、西方|白帝神《はくていしん》名は白招拒《はくしょうきょ》、精を白
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