る(オエン『老兎巫蠱篇《オールド・ラビット・ゼ・ヴーズー》』一三六頁)。高木敏雄君の『日本伝説集』を見ると三人の児に留守させ寺詣りした母親を山姥が食い母親の仮《まね》してその家に入り末の子を食う、二児その山姥たるを知り外に出で桃の樹に上り天を仰いで呼ぶと天から鉄の鎖が下る、それに縋《すが》って登天す、これに倣うて山姥も天を仰いで呼ぶと腐った縄が下る、それに縋って上ると縄切れ山姥高い処から蕎麦《そば》畑に落ち石で頭を破《わ》って死んだ、その血に染まって蕎麦の茎が今のごとく赤くなったという天草の俚話がある。今一つ出雲に行わるる譚とて黍《きび》の色赤き訳を説きたるは、天保元年|喜多村信節《きたむらのぶよ》撰『嬉遊笑覧』九に載せた瓜姫《うりひめ》の咄《はなし》の異態と見える。「今江戸の小児多くはこの話を知らず、老父老嫗あり、老父は柴を苅りに山に行き老嫗は洗濯に川へ行きたりしに、瓜流れ来りければ嫗拾い取りて家に帰り、老父に喰わせんとて割りたれば内より小さき姫出でたり、美しき事限りなし、夫婦喜びて一間の内に置く、姫生い立ちて機《はた》を織る事を能くして常に一間の外に出でず、ある時庭の木に鳥の声して瓜姫の織りたる機の腰に天《あま》の探女《じゃく》が乗りたりけりと聞えければ、夫婦怪しと思いて一間の内に入りて見るに、天の探女姫を縄にて縛りたり、夫婦驚きてこれを援け天の探女を縛り、此女《こやつ》薄《すすき》の葉にて鋸《ひ》かんとて薄の葉にて鋸きて切り殺しぬ、薄の葉の本に赤く色附きたるはその血痕なりという物語田舎には今も語れり、信濃人の語るを聞きし事あり」と信節の説だ。出雲に行わるるところは大分これと異《ちが》い爺と媼と姫を鎮守祠に詣らせんとて、駕籠《かご》買いに出た跡に天探女《あまのじゃく》来り、姫を欺き裏の畑へ連れ行きその衣服を剥ぎ姫を柿の木に縛り、自ら姫の衣服を着て爺媼が買うて来た駕籠に乗り祠に詣らんとする時木に縛られた姫泣く、爺媼|欺《だま》されたと感付き天探女の首を鎌で打ち落し裏の黍畑に棄てた、その血で黍の色赤くなったという。前の咄《はなし》に薄の葉で鋸き殺すとあるに似た例、『西域記』十に竜猛菩薩|※薩羅国[#「※」は「りっしんべん+喬」、47−14]《こさらこく》の引正王に敬われ長寿の薬を与えたので王数百歳経ても死なず、多くの子孫がお先へ失礼するを見て王妃がその穉子に説いて
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