t土および諸草木|微《すこ》しく絳色《こうしょく》を帯び血染のごとし、人その地を履《ふ》む者|芒刺《いばら》を負う、疑うと信ずるとをいうなく、悲愴せざるはなしと出づ。玄奘より二百余年前渡天した法顕の紀行にも竺刹尸羅《たくちゃしら》国で仏前生に身を捨て餓虎に施した故蹟に諸宝玉で餝《かざ》った大※堵波[#「※」は「あなかんむり+卒」、41−13]あり、隣邦の王公士民競うて参詣し捧げ物多く花を撒き燈を点《とも》して間断《たえま》なしと見ゆ。結局《つまり》前出『投身餓虎起塔因縁経』もこの故蹟に附けて出来た伝説らしい。それに後日更に一話を附け加えてその近処の土や草木が赤く地に芒刺多く生えたるに因んで王子身を虎に施す前に自分の血を出して彼に与えたと作ったんだ。近年カンニンガム将軍この捨身処《マニーキヤーラ》の蹟を見出したが土色依然と赤しという(一九二六年ビール訳『西域記』巻一、頁一四六)。すべて何国でも土や岩や草花など血のように赤いと血を流した蹟とか血滴《ちのしたたり》から生えたとか言い囃《はや》す、和歌山より遠からぬ星田とかいう地に近く血色の斑《ふち》ある白い巌石連なった所がある、昔|土蜘蛛《つちぐも》を誅した古蹟という、『日本紀』七や『豊後風土記』に景行帝十二年十月|碩田国《おおきたのくに》に幸《みゆき》し稲葉河上に土蜘蛛を誅せしに血流れて踝《つぶなき》に至るそこを血田というとあるのも土が赤かったからの解説《いいわけ》だろ、支那の『易経』に〈竜野に戦うその血元黄〉、これまた野の土や草が黄色の汁で染めたようなを竜が戦うた跡と見立てたらしい、英国ニューフォレストの赤土は昔ここで敗死した嗹人《デーンス》の血で色付いたと土民信じ、ニュージーランドのマオリ人がクック地峡の赤い懸崖を古酋長の娘の死を嘆いて自ら石片で額を傷《やぶ》った血の染まる所と伝えるなど例多くタイラーの『原始人文篇《プリミチヴ・カルチュル》』一に載せ居る。沙翁《シェキスピヤ》好きの人は熟知の通りギリシアの美少年アドニス女神ヴェヌスに嬖《へい》されしをその夫アレース神妬んで猪と現われ殺した時ヴェヌス急ぎ往《ゆ》いて蜜汁をその血に灑《そそ》ぐとたちまち草が生えた、これをアドニスと号《な》づけわが邦の福寿草と同属の物だが花が血赤い、さてパプロスに近い川水毎夏|漲《みなぎ》り色が赤くなるをアドニス最後の血が流れると古ギリシア
前へ
次へ
全66ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング