をして遣った、米獅《ピューマ》これを徳とし産後外出して獣を搏《う》ち将《も》ち来て肉を子供と彼女に分ちくれたので餓死を免がれた、そのうちインディアンが彼女を擒《いけど》り、種々難儀な目に遭わせたが、遂にスペイン人に賠《つぐな》われて城に帰った、それは吉《よ》かったが全体この女性質慓悍で上長の人の命に遵《したが》わぬから遂に野獣に啖《く》わす刑に処せられた、ところが天幸にも一番に彼女を啖わんと近づき寄ったのが、以前出産を助けもろうた牝米獅《めピューマ》で、見るより気が付き、これは飛んだところで御目に懸ります、忰《せがれ》どもも一人前になって毎度御噂を致しいる、女ながらも西大陸の獣中王たる妾《わたし》が御恩報《ごおんがえ》しに腕を見せましょうと、口に言わねど畜生にも相応の人情ありて、爪牙を尖らせ他の諸獣を捍《ふせ》いで一向彼女に近づかしめず、見物一同これほど奇特な米獅《ピューマ》に免じて彼女を赦さずば、人間が畜生に及ばぬ証明をするようなもの、人として獣に羞《は》じざらめやと感動して彼女を許し、久しく無事で活命させたとある。『淵鑑類函』に晋の郭文かつて虎あり、たちまち口を張って文に向うたんで視ると口中に骨|哽《たて》り、手を以て去《と》ってやると明日鹿一疋持ち来って献じた。また都区宝という人父の喪で籠りいた時里人虎を追う、虎その廬に匿《かく》れたのを宝が簔で蔵《かく》しやって免がれしめた、それから時々野獣を負ってくれに来たとある。古ギリシアの人が獅のために刺《とげ》を抜きやり、のち罪獲て有司《やくにん》その人を獅に啖わすとちょうど以前刺を抜いてやった獅であって一向啖おうとせず、依って罪を赦された話は誰も知るところだ。これらはちょっと聞くと嘘ばかりのようだが予年久しく経験するところに故ロメーンス氏の説などを攷《かんが》え合わすと猫や梟《ふくろう》は獲物を人に見せて誇る性がある、お手の物たる鼠ばかりでなく猫は蝙蝠《こうもり》、梟は蛇や蟾蜍《ひきがえる》など持ち来り予の前へさらけ出し誠に迷惑な事度々だった。故セントジョージ・ミヴワートは学者|一汎《いっぱん》に猴類を哺乳動物中最高度に発達したる者と断定し居るは、人と猴類と体格すこぶる近く、その人が自分免許で万物の長と己惚《うぬぼ》るる縁に付けて猴が獣中の最高位を占めたに過ぎぬが、人も猴も体格の完備した点からいうと遠く猫属すなわち
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