十一語に天竺《てんじく》の山に狐と虎住み、その狐虎の威を仮りて諸獣を恐《おど》す、虎行きて狐を責め狐恐れて逃ぐるほどに井に落ちたとありて、弁財天と堅※地神[#「※」は「あなかんむり+牛」、21−1]《けんろうじしん》の縁起譚だがその出処が解らぬ。芳賀博士の攷証本にも聢《しか》と出ておらぬ、多分インドで出来たのでなく江乙の語に拠って支那で作られたものかと思う。
マルコポロ紀行に元|世祖《せいそ》将官に位勲の牌を賜い佩用せしむるに、金また銀を鍍《めっき》した牌に獅の頭を鐫《え》り付けたとあるが、ユールの註に拠るとマルコの書諸所に虎を獅と訛称しあるそうだ。古くより虎賁《こほん》などいう武官職名もあり、虎符を用いた事もあるから件の牌には虎頭を鐫り付けたのだろう。今日といえどもアフリカで虎と呼ぶは豹でアメリカで虎と呼ぶは旧世界に全くなきジャギュアル、また獅と呼ぶのは同じく東半球に住まぬピューマなるなど猫属の諸獣の性質|酷《はなは》だ相似たる点から名称の混雑は尠《すく》なくない。
『戦国策』に人あり係蹄《わな》を置きて虎を得たるに、虎怒りて※[#「※」は「あしへん+番」、21−9]《あしのうら》を決《き》って去る、虎の情その※[#「※」は「あしへん+番」、21−9]を愛せざるにあらざれど、環寸《わずか》の※[#「※」は「あしへん+番」、21−10]を以て七尺の躯を害せざる者は権なりとあって虎の決断を褒《ほ》め居る。ロメーンスの説に狐が足を係蹄に捉われて危殆と見ると即刻自ら咬み切って逃ぐるは事実だとある。『大英類典《エンサイクロペジア・ブリタニカ》』第十一版獅の条を見ると近来獅の性実は卑怯なる由言う人多しとあって、要は人と同じく獅もことごとく勇猛ならず、中には至って臆病な奴もありなんと結論し居る。かかる噂は今に始まったのでなくレオ・アフリカヌスが十六世紀に既に言って居る。モロッコのマグラ市近き野に獅が多いが極めて怯懦《きょうだ》で、小児が叱ると狼狽|遁《に》げ去《さ》る、その辺の大都フェスの諺に口ばかり剛情な怯者を詈《ののし》って汝はアグラの獅ほど勇なり犢《こうし》にさえ尾を啖《く》わるべしというとある。虎もこの例で至って臆病なのもあるらしく、前年スヴェン・ヘジン、チベット辺で水を渡る虎の尾を小児に曳かれて何事もなからざりしを見たと何かで読んだ。さらば虎に勝った勇士の内には真
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