そのまま名としたというんだ。これはしかるべき説で凡《すべ》てどこでもオノマトープとて動物の声をその物の名としたのがすこぶる多い。往年『学芸志林』で浜田健次郎君がわが国の諸例を詳しく述べられた。虎の異名多くある中に晋《しん》梁《りょう》以後の書にしばしば大虫と呼んだ事が見える。大きな動物すなわち大親分と尊称した語らしい。スウェーデンの牧牛女《うしかいめ》は狼を黙者《だんまり》、灰色脚《はいいろあし》、金歯《きんば》など呼び、熊を老爺《おやじ》、大父《おおちち》、十二|人力《にんりき》、金脚《きんあし》など名づけ決してその本名を呼ばず、また同国の小農輩キリスト昇天日の前の第二週の間鼠蛇等の名を言わず、いずれもその害を避けんためだ(ロイド『瑞典小農生活《ピザント・ライフ・イン・スエデン》』)。カナリース族は矮の本名を言わずベンガルでは必ず虎を外叔父《ははかたのおじ》と唱う(リウィス『錫蘭《セイロン》俗伝』)。わが邦《くに》にも諸職各々|忌詞《いみことば》あって、『北越雪譜《ほくえつせっぷ》』に杣人《そまびと》や猟師が熊狼から女根まで決して本名を称《とな》えぬ例を挙げ、熊野でも兎《うさぎ》を巫輩《みこども》狼を山の神また御客様など言い山中で天狗を天狗と呼ばず高様《たかさま》と言った。また支那で虎を李耳《りじ》と称う、晋の郭璞《かくはく》は〈虎物を食うに耳に値《あ》えばすなわち止《や》む、故に李耳と呼ぶ、その諱《いみな》に触るればなり〉、漢の応劭《おうしょう》は南郡の李翁が虎に化けた故李耳と名づくと言ったが、明の李時珍これを妄とし李耳は狸児《りじ》を訛《なま》ったので、今も南支那人虎を呼んで猫と為すと言った。狸は日本で専《もっぱ》ら「たぬき」と訓《よ》ますが支那では「たぬき」のほかに学名フェリス・ヴィヴェリナ、フェリス・マヌル等の野猫をも狸と呼ぶ。したがって野狸に別《わか》たんとて猫を家狸と異名す。因って想うに仏経に竜を罵って小蛇子と言うごとく狸児は虎を蔑して児猫といった意味だろう。これに似て日本で猫を虎に擬《なぞら》えた事『世事《せじ》百談』に「虎を猫とは大小剛柔遥かに殊《こと》なるといえども、その形状の相類する事絶えて能く似たり、されば我邦の古《いにし》え猫を手飼の虎といえる事『古今六帖《こきんろくじょう》』の歌に「浅茅生《あさぢふ》の小野の篠原いかなれば、手飼の虎の伏所
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