uいた『甲子夜話《かっしやわ》』一七に、旗下《はたもと》の一色熊蔵話しとて、「某といへる旗下人の領地にて、狼出て口あきて人に近づく、獣骨を立てたるを見、抜きやれば、明日一小児門外に棄てあり、何者と知れず、健《すこや》かに見えしとて、憐れんで己《おの》が子のごとく養ひ、成長後嗣子とせり、本《もと》より子なかりしを知りて、何方《いずかた》よりか奪ひ来りしとみゆ、狼つれ来りし証は、肩尖《かたさき》に歯痕あり、子孫に連綿と勤めおるが、肩には歯痕ごとき物あり」と載す。事実か否は判らないが、柳田氏の書に引「た他の譚《はなし》なみになら十分通ると察する。これで日本にて狼が人の子を育てたり、食わずに人に養わせたりの話が皆無でないと知るべし。
 また大分新らしいのは猴《さる》が人の子を養うというやつだ。というと、板垣退助伯の娘猿子の名などより仕組んだ咄など邪推されんが、予の手製でなく、昨年八月九日ロンドン発行『モーニング・ポスト』紙に出た。二十五年前喜望峯東南州の荒野で邏卒《らそつ》二名が猴群に雑《まじ》った一男児をみつけ、伴《つ》れ帰ってルカスと名づけ、農業を教えると、智慧は同侶に及ばねど力量と勤勉と信用は優《まさ》り、よく主人に仕え、殊にその子を守るを好む。珍な事はこの者に時という観念全くなしとの事だ。(完)

    (付) 虎が人に方術を教えた事

 『日本紀』二四に、皇極《こうぎょく》天皇四年四月、〈高麗《こま》の学僧ら言《もう》さく、「同学|鞍作得志《くらつくりのとくし》、虎を以《も》て友として、その術《ばけ》を学び取れり。あるいは枯山《からやま》をして変えて青山にす。あるいは黄なる地《つち》をして変えて白き水にす。種々《くさぐさ》の奇《あや》しき術、殫《つく》して究むべからず(『扶桑略記《ふそうりゃっき》』四には多以究習とす)。また、虎、その針を授けて曰く、慎矣慎矣《ゆめゆめ》、人をして知らしむることなかれ。ここを以て治めば、病《やまい》愈えずということなし、という。果して言うところのごとくに、治めて差《い》えずということなし。得志、恒《つね》にその針を以て柱の中《うち》に隠し置けり。後に、虎、その柱を折《わ》りて、針を取りて走去《に》げぬ。高麗国《こまのくに》、得志が帰らんと欲《おも》う意《こころ》を知りて、毒《あしきもの》を与えて殺す」と〉。似た譚が支那にもある。い
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