ェ食うと信じた(ワイツおよびゲルラント『未開民誌《ゲシヒテ・デル・ナチュラルフォルケル》』巻六)。また面白きは鬼までも虎に食われる事が『風俗通』に見える。曰く〈上古の時、神荼《しんと》欝塁《うつりつ》昆弟二人あり、性能く鬼を執る、度朔山《どさくさん》に桃樹あり、二人樹下において、常に百鬼に簡閲す、鬼道理なき者、神荼と欝塁は打つに葦索を以てし、執りて以て虎を飼う、この故に県官常に臘を以て祭る、また桃人《とうじん》を飾り葦索を垂れ虎を内に画き以て凶を禦《ふせ》ぐなり〉、わが朝|鍾馗《しょうき》を五月に祭るが、支那では臘月に祭ったと見えて、明の劉若愚の『四朝宮史酌中志』二十辞旧歳の式に〈室内福神鬼刹鍾馗等の画を懸掛す〉とある、年末窮鬼を駈る意で鍾馗は漢代臘を以て神荼欝塁兄弟を祭ったから出たのだろ。

    (七) 虎に関する民俗

 前条には信念と題して主《おも》に虎を神また使い物として崇拝する事を述べたが、ここには民俗てふ[#「てふ」に「という」の注記]広い名の下に虎に係る俗信、俗説、俗習を手当り次第|序《の》べよう。まず支那等で虎の体の諸部を薬に用ゆる事は一月初めの『日本及日本人』へ出したが、少しく追加するとインドのマラワルの俗信に虎の左の肩尖《かたさき》の上に毛生えぬ小点あり、そこの皮また骨を取り置きて嘗《な》め含むと胃熱を治す、また虎肉はインド人が不可療の難病とする痘瘡《とうそう》唯一の妙剤だと(ヴィンツェンツォ・マリア『東方遊記《イルヴィアジオ・オリエンタリ》』)。安南の俗信に虎骨ありて時候に従い場処を変える、この骨をワイと名づく、虎ごとにあるでなく、最も強い虎ばかりにある、これを帯びると弱った人も強く心確かになる、因って争うてこれを求むとあるが(ラント『安南民俗迷信記』)、ワイは支那字|威《ウェイ》で、威骨《ウェイクツ》とて虎の肩に浮き居る小さき骨で佩《おび》れば威を増すとてインドでも貴ぶ(『日本及日本人』新年号(大正三年)二三三頁を見よ)。安南人また信ず、虎鬚有毒ゆえ虎殺せば鬚を焼き失う習いだ。これを灰に焼いて服《の》ますとその人咳を病む、しかし死ぬほどの事なし。もし大毒を調《ととの》えんとなら、虎鬚一本を筍《たけのこ》に刺し置くと鬚が※[#「※」は「むしへん+毛」、76−8]《けむし》に化ける。その毛また糞を灰に焼いて敵に服ませるとたちまち死ぬと。安南人
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