゚て人を食えば神に捧物してこれを鎮《しず》むれど、二度目に人食わるれば神の怒りやまぬつもりで村を移すと。リヴァースの『トダ人族篇』にいわく、トダ人信ずある特殊の地を過ぐるに手を顔に中《あて》て四方を拝せずば虎に食わると。またいう最初の神ピチーの子オーン、水牛とトダ人を創造し、今は冥界《アムノドル》の王たり。その子プイヴ水に指輪を落し拾わんとして溺死す。オーン子を独り冥界に※[#「※」は「うかんむり+眞」、72−16]《お》くに忍びず、自分も往かんとて告別に一切の人水牛および諸樹を招《よ》ぶに、皆来れどもアルサンクタンてふ人の一族とアルサイイルてふ水牛の一族と若干種の樹は来らず。オーンこれを詛《のろ》う。それからアルサンクタンの一族はクルムバ術師の呪《まじない》に害せられ、アルサイイル族の水牛は毎度虎に啖われ、かの時来なんだ諸樹は苦《にが》き果《み》を結ぶと。これらは現世で神に代って虎が罰を行うのだが、死んで後も虎に苦しめらるるてふ信念もその例ありだ。『巫来半島異教民種篇《ペーガン・レーセス・オヴ・ゼ・マレー・ペニンシュラ》』二二二頁に、セマン人は酋長死なばその魂虎に移ると信ず。ヴォワン・スチヴンス説にセマン人は以前|黒焦《くろこげ》にせる棒一本を毒蛇また虎の尸の上もしくは口の前に置き、あるいは木炭もて虎の条紋に触れ、冥途《めいど》で虎の魂が人の魂に近づくを予防す。ただし虎も蛇も時に地獄悪人の魂を驚かすと信ぜらると、仏経にも禁戒具足しいまだかつて行欲せざる浄行童女善比丘尼を犯し破戒せしめた者、死して大焦熱大地獄に堕《お》ちる。臨終に男根縮んで糞門に入り、大苦悩し、最後に他世相《あのよのそう》を見る。たとえば悪色不可愛、一切猛悪ことごとく具《そな》われる獅虎等を見、悪虎の声を聞き大恐怖を生ず。また妄語して他人を罰せしめ愉快と心得た奴は、死して大叫喚地獄の双N悩部に落ち、※牙[#「※」は「陷のこざとへんを取ったもの+炎」、73−12]《えんが》獅子に食われ死して活きまた食わるる事千百歳、この獅の歯の中に※火[#「※」は「陷のこざとへんを取ったもの+炎」、73−13]充満し、噛《か》めば焼く痛さと熱さの二苦を受くるのだ、この他|豺狼《さいろう》地獄、銅狗、鉄鳥など種々罪人を苦しむる動物がある(『正法念処経』十および十一、『経律異相』四九)。エジプトの古宗教にはその国に産せぬ
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