、イタチがこの草を食つて後蛇と戦ふに、蛇その匂ひに堪へず必ず負けると云うた。英国で古く、この草を隣から盗んで植ればよく茂るといつた。紀州田辺でも蓮芋とヒトモジ葱は盗んで植よといふ。

 ダーリヤ[#「ダーリヤ」はゴシック体]
 白井博士教示に天保十三年初めて輸入され、初めは蘭名ラノンケルで通用したが、葉花共にやや牡丹に近いゆゑ天竺牡丹と俗称したと、舶上花譜に出づと。今年紀元節号「日本及日本人」に、山内嵒氏いはく、雲南の大理府はこの草の原産地で、外国人はじめてこの花を広東で見た時、何の花ぞと問ふと大理牙《ダリヤ》(ダリヤです)と答へたるをそのまゝ花の名としたのだと。本邦諸所にドーレの木といふ物あり、妙な木ゆゑ、名をとふとドーレ(何れ)の木と問返したのを、その木の名としてしまつたといふ類だ。併し植物名実図考など最も南支那の草木を満載した物に、ちつともダリヤを出さず。斯学の玉条たるエングレル及びブラントルの自然分科編に、ダリヤの九種みなメキシコの原産とあり、一七八九年にイスパニアの僧カヴアニュスが、瑞典の植物学者ダールの姓に由てダーリアと命名した事、その著西班牙植物図説一と二の説に明かなれば、支那の原産でないは論を俟たず。



底本:「日本の名随筆 別巻14・園芸」作品社
   1992(平成4)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「南方熊楠全集 第七巻」乾元社
   1952(昭和27)年5月
入力:渡邉つよし
校正:染川隆俊
2001年8月1日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング