て止まらず、婦人服し了つて乳長く流るといふ語あり、王命ありと雖もその行をとゞむる能はず、ゆゑに名づくと釈く。下学集には、この草本は剪金花と名づく、蜀主もとよりこの花を好む、宋に降り※[#「※」は「さんずい+卞」、読みは「べん」、第3水準1−86−52、50−3]に遷さるゝによつて、人この花を王不留行といふと記す。支那書に見えぬが足利時代にそんな噂が伝はり居たのだ。
ムシトリナデシコ、英名キャッチ・フライ(蝿取)、その茎に粘液を出し蝿がとまると脱さぬ。それを面白がつて十七世紀にロンドンの花園に多く植えたさうだ。その学名シレネは、古ギリシヤの神シレヌスに基づく。禿頭の老人鼻低く体丸く肥え、毎も大きな酒袋を携ふ。かつて酒の神ヂオニソスを育て、後その従者たり。貌醜くきも聖智あればソクラテスに比べらる。栄利に構はず酒と音楽と眠りのみ好む。過去と未来の事を洞視する故、人その酔眠れるに乗じ花を聯ねて囲み迫つて予言し、又唄はしむ。かゝる智神も酒といふ世の曲物には叶はないのだ。この神、酔うて涎ばかり垂らしをるに比べてムシトリナデシコの一属をシレネと呼んだ。只今山野にさくフシグロや、維新後入来のシラタマソウなどこの属の物だ。シラタマソウは英国等に自生し、若芽が莢豌豆とアスパラガスの匂ひを兼ぬるからそれらに代用する。札幌辺に生えるといふから料理に使ひ試すべしだ。
パースレイ[#「パースレイ」はゴシック体]
只今花さく。至つてまづい花だが、古ギリシヤ人はヘルキュレス初めてこれを冠つたとて、極めてこれを尊び、乾からびたパースレイの冠をイスミヤ競技の勝者に授けた。これを佩ると、心落ちつき食慾が進むとて会席の客がその冠を戴いた。又、死骸にこの草の枝を撒いたから、人が死際にあるをパースレイが入用だといつた。プルタルクス説に、パースレイを負ふた驢馬に会つた軍隊が敗軍の凶兆と心得て大騒ぎしたと。又、畑を作るに先づパースレイとヘンルウタをその縁に植た。因つてまだ実行に取かゝらぬといふ代わりに、やつとパースレイとヘンルウタの段だといつた。ヘンルウタも今さき、これもまづい花だ。匂ひが強いので諸虫の毒を消し、眼を明らかにし智を鋭くし、女が食ふと操が固まるというた。昔、マルセイユでペスト流行の際、盗賊四人、この草で酢を作り飲んで少しも感染せず、片つ端しからペストの家に入つて大窃みをした。アリストテレスは
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