町の店の人たちが、せわしそうに働《はたら》くだけで、自分なんかには目もくれなかったことをふと思い出しました。
「東京って、そんな生《なま》やさしいとこじゃないよ。みんなぶっ倒《たお》しっこをして暮《くら》しているんだ。しかし、おまえみたいに帰る家もなくっちゃ困《こま》っちまう。しかたがない、わしの家も当分《とうぶん》はまだせわしいから手伝《てつだ》っていな。そのうち、どこか小僧《こぞう》にでもいったらいいだろう。」
おやじさんは親切《しんせつ》にいってくれました。
三
清造はその日から、小さな凧屋《たこや》の小僧になりました。おやじさんは親切ないい人でした。夜になって夜なべ仕事[#「夜なべ仕事」に傍点]などをしているときには、いろいろ昔《むかし》のおもしろい話などを聞かせてくれました。そうして、町の中に、こんなに電信柱《でんしんばしら》やなにかが立たなかった時分《じぶん》には、東京でも、どんなに大きな凧《たこ》を上げたかを話したりして、
「しかしもう、これから凧屋《たこや》はだめだ。おまえなんかも、なにかいい好《す》きなことを考えた方がいいよ。」
といいました。それを聞くと清造は、いつも悲しくなりました。東京の市中《しちゅう》へ使いにいって、あのものすごい雑沓《ざっとう》に出あうと、かれは自分をどうしていいかわからないのに、この親切なおやじさんと別《わか》れるようになるのがいやだったのです。おかみさんもいい人でした。しかし、貧《まず》しい暮しをしている人は、時々自分でも思いがけないように腹をたてるものです。おかみさんにもそんなくせ[#「くせ」に傍点]がありました。清造はかんではき出すような小言《こごと》をいわれると、店の隅《すみ》で泣《な》いていました。そういうとき、だまってじっと目をつぶると、いつもあの沼と、沼に浮《う》かぶあわがかならず目に浮かんできました。
お正月がすぎると、凧屋《たこや》では五月ののぼりの鯉《こい》やなにかをつくりはじめました。そうして五月もすむと、今度《こんど》はうちわ[#「うちわ」に傍点]やせんす[#「せんす」に傍点]をつくりはじめたのです。その時分《じぶん》、うちわ[#「うちわ」に傍点]の絵《え》には、庭の池に築山《つきやま》があったり、ほたるが飛んでいたりするのがたくさんありました。清造はそういう絵を張っていると、いつでもあの沼のことを思い出しました。そこでかれはじっと目をつぶると、沼にはあわが浮《う》かんで来ます。あし[#「あし」に傍点]の葉の枯《か》れている時もありました。はすの花の咲《さ》いているときもあるし、ほたるの飛んだ晩《ばん》もあったし、氷《こおり》の上に雪のつもっているときもありました。
あるとき、清造は、張《は》りそこなったうちわ[#「うちわ」に傍点]の裏に、あし[#「あし」に傍点]の枯《か》れた沼のおもてに、大きなあわの浮《う》かんだ絵をかいてみました。それはまったく、子どものかいた無邪気《むじゃき》な絵でした。けれどもおやじさんはそれを見ると、
「うまい、感心だ。」といって、よろこびました。そうして、「もう一枚かいてみろ。」と、今度は新しいせんす[#「せんす」に傍点]をくれました。清造はしばらく目をつぶってから、青黒《あおぐろ》くよどんだ水の上に、大きなあわがふたつぽかりと浮《う》かんだところをかきました。
「おまえはいまにきっと名人《めいじん》になれる。おれが先生に頼《たの》んでやる。」
おやじさんは自分の子のことのように喜びました。そうして、おやじさんのひいき[#「ひいき」に傍点]になっている、えらい絵の先生のところに清造をつれていきました。その先生は凧屋《たこや》に凧を張《は》らせて、自分でそれに絵をかいてやるのを楽《たの》しみにしている人でした。だから、おやじさんのいうことをすぐに聞いて、自分の弟子《でし》にしました。
四
それから十何年かたちました。ある日、清造が石を投げた沼のふちにりっぱな青年《せいねん》が立って、じっと水のおもてをながめていました。青年はやがて石を一つとって投げました。やがて大きなあわがぽかりとひとつ浮《う》かびました。それからつづいて小さなあわがぶくぶくとたちました。しばらくたって青年はまた石を投げました。あわはさっきと同じようにたちました。青年はいうまでもなく清造でした。かれは『沼』という題《だい》の絵を展覧会《てんらんかい》に出して、いちやくして有数《ゆうすう》な画家《がか》となりました。
清造の先生も、凧屋《たこや》の老人もそれをどんなに喜んだことでしたろう。しかし、清造はそのときの喜びより、いまここにこうして来て、沼のおもてに浮《う》かんだ昔のとおりのあわを見たときの方が、はるかに強くうれしかったのです。
そこにはかれの父も母もいるし、そうしてかれはなにかしれない力を与《あた》えてくれるものもあるような気がしたからです。[#地付き](昭3・1)
底本:「赤い鳥代表作集 2」小峰書店
1958(昭和33)年11月15日第1刷
1982(昭和57)年2月15日第21刷
初出;「赤い鳥」赤い鳥社
1928(昭和3)年1月号
入力:林 幸雄
校正:川山隆
2008年4月9日作成
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