ひいき」に傍点]になっている、えらい絵の先生のところに清造をつれていきました。その先生は凧屋《たこや》に凧を張《は》らせて、自分でそれに絵をかいてやるのを楽《たの》しみにしている人でした。だから、おやじさんのいうことをすぐに聞いて、自分の弟子《でし》にしました。

     四

 それから十何年かたちました。ある日、清造が石を投げた沼のふちにりっぱな青年《せいねん》が立って、じっと水のおもてをながめていました。青年はやがて石を一つとって投げました。やがて大きなあわがぽかりとひとつ浮《う》かびました。それからつづいて小さなあわがぶくぶくとたちました。しばらくたって青年はまた石を投げました。あわはさっきと同じようにたちました。青年はいうまでもなく清造でした。かれは『沼』という題《だい》の絵を展覧会《てんらんかい》に出して、いちやくして有数《ゆうすう》な画家《がか》となりました。
 清造の先生も、凧屋《たこや》の老人もそれをどんなに喜んだことでしたろう。しかし、清造はそのときの喜びより、いまここにこうして来て、沼のおもてに浮《う》かんだ昔のとおりのあわを見たときの方が、はるかに強くうれしか
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