町の店の人たちが、せわしそうに働《はたら》くだけで、自分なんかには目もくれなかったことをふと思い出しました。
「東京って、そんな生《なま》やさしいとこじゃないよ。みんなぶっ倒《たお》しっこをして暮《くら》しているんだ。しかし、おまえみたいに帰る家もなくっちゃ困《こま》っちまう。しかたがない、わしの家も当分《とうぶん》はまだせわしいから手伝《てつだ》っていな。そのうち、どこか小僧《こぞう》にでもいったらいいだろう。」
 おやじさんは親切《しんせつ》にいってくれました。

     三

 清造はその日から、小さな凧屋《たこや》の小僧になりました。おやじさんは親切ないい人でした。夜になって夜なべ仕事[#「夜なべ仕事」に傍点]などをしているときには、いろいろ昔《むかし》のおもしろい話などを聞かせてくれました。そうして、町の中に、こんなに電信柱《でんしんばしら》やなにかが立たなかった時分《じぶん》には、東京でも、どんなに大きな凧《たこ》を上げたかを話したりして、
「しかしもう、これから凧屋《たこや》はだめだ。おまえなんかも、なにかいい好《す》きなことを考えた方がいいよ。」
といいました。それを聞くと清造は、いつも悲しくなりました。東京の市中《しちゅう》へ使いにいって、あのものすごい雑沓《ざっとう》に出あうと、かれは自分をどうしていいかわからないのに、この親切なおやじさんと別《わか》れるようになるのがいやだったのです。おかみさんもいい人でした。しかし、貧《まず》しい暮しをしている人は、時々自分でも思いがけないように腹をたてるものです。おかみさんにもそんなくせ[#「くせ」に傍点]がありました。清造はかんではき出すような小言《こごと》をいわれると、店の隅《すみ》で泣《な》いていました。そういうとき、だまってじっと目をつぶると、いつもあの沼と、沼に浮《う》かぶあわがかならず目に浮かんできました。
 お正月がすぎると、凧屋《たこや》では五月ののぼりの鯉《こい》やなにかをつくりはじめました。そうして五月もすむと、今度《こんど》はうちわ[#「うちわ」に傍点]やせんす[#「せんす」に傍点]をつくりはじめたのです。その時分《じぶん》、うちわ[#「うちわ」に傍点]の絵《え》には、庭の池に築山《つきやま》があったり、ほたるが飛んでいたりするのがたくさんありました。清造はそういう絵を張っていると、
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