かの類型によるといふ樣なことは必ず言ひ得るに違ひないと思ひます。
又、あきらむるにせよ、健鬪するにせよ、樂觀するにせよ、已にあきらめ、健鬪し、樂觀することゝなつた以上は夫れは最早苦ではないのであるから、其結果から言へば三者共に樂觀するといふことになるかも知れませんけれども、併しながら、其苦に逢着した刹那に於ける精神の状態と、其結果に到着するまでの道行きとは隨分ちがつて居ります。尚又一歩を進めて言へば、其所謂結果と稱するものにても、嚴密に言へば决して純粹に快樂の感情のみではなくして、苦と樂とが律動《リズム》的に交替起伏して居るのでありますから、此苦樂の律動の交替の間に於ても、尚ほ、前に擧げたる三個の類型中の孰れかゞ、全くか、若くは重もにか、働いて居るには相違ないのでありますから、結果其物も亦三樣の類型に區別さるゝのであります。
二 惡に對する三種の態度
大そうヘーゲル[#「ヘーゲル」に傍線]流になりますが、惡或は罪に對する我々の態度も亦、上に述べた處と同樣、三種の類型がある樣に思はれます。第一は、どうせ罪惡は不完全の人生に避くべからざるものであるから致方がない、不滿足で
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