あり、又は現はれて居らぬこともあるけれども。第一は、苦を因果と觀じ、自己は徹頭徹尾受動的の態度を取つて、全然苦に服從するのである。苦に服從するといへば、未だ苦を脱して居らぬ樣にも聞ゆるけれども、左樣ではない。苦なるものはもと精神の攪擾、不均衡に基くのであるから、此絶對的服從によつて我々の精神は平和と均衡とを囘復し、以て苦を脱することが出來るのであります。第二は、苦を義務と觀じ、自己は徹頭徹尾能動的の態度を取つて、思切つて此何れ果さゞるべからざる義務たる苦を果し、此苦と健鬪するのである。苦と健鬪するのであるから、未だ苦を脱し得ぬのである樣にも思はるゝが、决して左樣でない。凡ての活動には快樂を伴ふものであるから、此自己の能動的活動によつて起る快樂によつて苦に打勝ち、苦を征服することが出來、之に依て苦を脱することが出來るのである。第三に到ては、斯る受動若くは能動の道行きを經ずして、直接に苦若くは苦の對象其物を樂觀して苦を忘るゝのである。勿論此場合とても、其苦に逢着した刹那に於ては、苦であるには相違ない、けれども、上に述べた樣な手段によらずして其次の刹那には直ちに此苦若くは其對象を樂化してしま
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