學究漫録
朝永三十郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)律動《リズム》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)先づ/\
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔U:bel〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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是れは實驗の結果ではなくして、唯、學究的の觀察に過ぎぬのであります。
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一 苦に對する三種の態度
苦を脱するために苦に對する我々の態度に大凡三種の別があるだらうと思はれます。第一は苦をあきらめる[#「あきらめる」に白丸傍点]のである。第二は苦と健鬪する[#「健鬪する」に白丸傍点]のである。第三は苦を樂觀する[#「樂觀する」に白丸傍点]のである。
途中で不意に風雨に遭ふ。傘はなし。雨宿りすべき家もない。立寄るべき樹陰もない。かういふ場合に、先づ、切りに愚痴をこぼして、恨んで甲斐もない天を恨むなどは到底苦を脱する所以ではないのであるが、其外に、一旦は、これは困つたことになつたと思ひながら、又忽ちに思かへして、まあまあ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]り合せが惡るかつたのだから仕方がないといふ風にあきらめて、濡れながらぽつぽつ歩くといふのは第一に屬するものであります。併しながら、我々は又、時としては、殊更に困難と健鬪して見たいといふ樣な氣を起して、履物でも脱いで、尻でも高く端折つて、強て風雨を衝て駈出して大に痛快を覺ゆるといふ樣なこともある、是れは第二に屬するのであります。又、在り合せの蓮の葉でもちぎつて頭にかぶり、自ら畫中、詩中の人となつて、是れも風流だといふ風に、苦の根本たる風雨を美化し、樂觀するのは第三に屬するのでありませう。
非常の貧苦に迫るとか、非常の不幸に遭遇するとか、非常の迫害に出遭ふとかいふ場合に當て、一旦は神の正義を疑ひ、佛の慈悲、聖母の愛を疑ひ、天道の是非を疑ふて、人を怨み天地を恨むといふ樣なことは、時に人情避くべからざることではありますが、併しながら、是れは到底苦を脱する所以ではない。夫れで、我々は是れを因縁事とあきらめる、是れは第一である。一つ大奮發をやつて、息の續く限り、此貧苦、此不幸、此迫害と健鬪して見んとする、是れは第二である。尤も此場合では、苦と健鬪して苦の原因を絶つた時にも勿論苦を脱することが出來るのでありますけれども、此第二の場合は决して之を指すのではなくして、其健鬪の瞬間に於ける脱苦の状態を指すのであります。又、疏食を食ひ、水を飮み、肱を曲げて枕にす、樂亦其中に在りといふ風に、貧苦を美化し、或は、若し我配處に赴かずんば何を以てか邊鄙の群類を化せんと言つて、迫害を樂觀し、或は其中に一種の意義を認むる樣なのは第三である。
第一も第二も、畢竟、苦の避くべからざること、已むを得ざることを觀ずるといふ點に於ては同一であるけれども、前者は受動的であつて、後者は能動的である。前者は苦を因果と觀じ、後者は之を義務と觀ずる。尤も、此因果の觀念と義務の觀念とは、人により、場合により、明亮に意識上に現はれて居ることもあり、又は現はれて居らぬこともあるけれども。第一は、苦を因果と觀じ、自己は徹頭徹尾受動的の態度を取つて、全然苦に服從するのである。苦に服從するといへば、未だ苦を脱して居らぬ樣にも聞ゆるけれども、左樣ではない。苦なるものはもと精神の攪擾、不均衡に基くのであるから、此絶對的服從によつて我々の精神は平和と均衡とを囘復し、以て苦を脱することが出來るのであります。第二は、苦を義務と觀じ、自己は徹頭徹尾能動的の態度を取つて、思切つて此何れ果さゞるべからざる義務たる苦を果し、此苦と健鬪するのである。苦と健鬪するのであるから、未だ苦を脱し得ぬのである樣にも思はるゝが、决して左樣でない。凡ての活動には快樂を伴ふものであるから、此自己の能動的活動によつて起る快樂によつて苦に打勝ち、苦を征服することが出來、之に依て苦を脱することが出來るのである。第三に到ては、斯る受動若くは能動の道行きを經ずして、直接に苦若くは苦の對象其物を樂觀して苦を忘るゝのである。勿論此場合とても、其苦に逢着した刹那に於ては、苦であるには相違ない、けれども、上に述べた樣な手段によらずして其次の刹那には直ちに此苦若くは其對象を樂化してしま
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