から懷疑説といふ者を以て現はれて來て居る種々の説に又た色々の程度の差がある。であるから、此處では懷疑主義と言はずして懷疑的傾向と云つた方が正確であらう。併し又た或は私の眼の屆かない爲めに自然主義者の中には此懷疑的傾向すらも含んで居らない者があるのを知らずに居ることがあるかも知れません。其れならば此講演は、大部分の自然主義者の一般傾向となつて居る懷疑的傾向に就ての講演として置ても差支はありません。
 偖て、是れまで懷疑的傾向といふ言葉を度々用ゐて來ましたが、其懷疑主義とはドウいふ主義であるか[#「其懷疑主義とはドウいふ主義であるか」に傍点]といふことは未だ明かにしてない。で、順序上之を一通り説明しなければならぬ。一概に懷疑主義と言ても、之には種々の程度がある。最低い程度の懷疑主義――或は寧ろ懷疑的傾向であつたならば、苟くも人生上の問題などに付て幾分か考察的の態度を取て居る者は皆な有つて居ると云ふことが出來る。或は寧ろ其人に懷疑的傾向があるからこそ人生問題などを考察しやうといふ樣な考が起つて來るのである。即ち、今まで成立つて居る學問なり、道徳なり、宗教なり、慣習なり、其他學理及實踐に關する
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