も亦たあるといふことを示すのみで、其人が自然主義の中に籍を置くといふ理由は矢張り此共通傾向をば他の傾向に比較して多量に分有して居るといふ點にあると思ふ。此共通傾向[#「共通傾向」に傍点]を取て批評するといふのも亦た批評の一方であると思ふ。
一般に、仝一名稱を標榜して居る多數の思想は、顯正の方面に於ては一致が困難であつても、破邪の方面に於ては大體一致して居ることが多い。殊に新生の主義の場合に於てさうである、「プラグマティズム」などが積極即ち顯正の方面の意見に於ては十人十色であるけれども、その目指す敵は何であるかといふ點に於ては大體一致し得る樣に思ふ。如何なる風潮に反抗して起つたか[#「如何なる風潮に反抗して起つたか」に傍点]といふ點に於ては大體一致して居る樣に思ふのであります。自然主義も亦たさうである。積極的の藝術觀人生觀に於ては十人十色であるが、消極の方面に於ては其間に共通の傾向が明かに認めらるゝのである。
尤も其共通の傾向と申しても種々の方面よりして考察して見ることが出來やう。例へばロマンティック派が余り理想に偏して現實を遠かつたに反對して現實に皈れといふ態度を取つたものと見るこ
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