ふべき者はありますけれども、之と密接の關係を有つて居ると稱せられて居る西洋の作物や又は西洋の文藝の歴史といふ樣なものには非常に暗い。で、こんな公會の席上で文藝の上よりして組織的に自然主義を論評するといふ資格を缺いて居るのであります。其故に、只今は此自然主義の重な動機の一となつて居ると思はるゝ而して一部の自然主義者も亦た自らさう公言して居る懷疑思潮[#「懷疑思潮」に白丸傍点]に付て一言したいと思ふ。
自然主義は「新小説」の後藤宙外氏なども言て居る通りに、「三四以上の思想を抱く者が自然主義なる一本の傘に雨宿り[#「三四以上の思想を抱く者が自然主義なる一本の傘に雨宿り」に傍点]」して居るので、所謂自然主義者の作物や論議やを取り一々分析して見たならば、藝術觀上又は人生觀上非常に異つた、或は氷炭相容れざる思想があるに相異ない。であるから、自然主義の評論を試みるに當ては先づ其中の色別をするといふのが第一歩であるとも言へる。併し此相傘主義は單に自然主義のみでは無い、殆んど凡ての主義がさうである。殊に未だ充分に議論の精錬を經て居らない新生の主義には其傾向が多い。現に自然主義と類縁を有すると思惟せられ
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