此矛盾の中に懷疑論者の意義が籠つて居ると思ふ」に傍点]。今日の懷疑論に若し意義があり[#「今日の懷疑論に若し意義があり」に白三角傍点]、存在の理由がありとすれば[#「存在の理由がありとすれば」に白三角傍点]、此内外の矛盾を惡むといふ點にある[#「此内外の矛盾を惡むといふ點にある」に白三角傍点]。尚ほ語を換へて言へば、哲學の概念も、宗教や道徳の理想や規範も、現實の生きた經驗を離れてあるべきでは無い、其れが動もすると現實の經驗を離れて形式一遍になるといふ弊がある。其處で懷疑論者は現實の經驗に歸れと叫んで居るのである。此點は自然主義の眞純の部分である。併し自然主義者は單にこれ丈けに止まらず、更に極端に進んで現實の經驗に關係あるなしに拘らず一切の概念の體系[#「更に極端に進んで現實の經驗に關係あるなしに拘らず一切の概念の體系」に傍点]、一切の理想[#「一切の理想」に傍点]、一切の價値を斥けて居るのである[#「一切の價値を斥けて居るのである」に傍点]。自然主義の誤は此點に存する[#「自然主義の誤は此點に存する」に傍点]。
ショーペンハウエルは其「意志及表象としての世界」に下の樣なことを言て居る。吾々の知能は之を銀行に喩へることが出來る。吾々の知能中に於ける表象(觀念)は之を二種に大別することが出來る。一は抽象表象(概念)、一は直覺表象(經驗)である。抽象表象は銀行に於ける紙幣と同樣の役目をする者である。紙幣が正金を代表して重苦しい正金の運用を助けるが如く、概念は直覺表象即ち具體的の經驗を代表して其運用を助ける。人間の禽獸と異なるは抽象表象の作用を有するが故である。禽獸は唯直覺表象の外有せざるが故に、唯々眼前のこと、現在のことの外知る能はざるも、人間は抽象表象の力によりて遠く慮かり、遠大なる計畫を立てゝ行くことが出來る。恰かも正金のみありては不便であるのに、紙幣や手形がある爲めに金錢の送達や取引が手輕に運ぶのと同樣である。併し、抽象概念は其自身に價値を有する者では無い、唯具體的の經驗を代表するといふ點よりして價値を有するのみ。恰かも紙幣や手形が正金を代表せざるに至れば紙屑同樣となつてしまふのと同樣である。具體的の經驗を離れて抽象的思考其者に價値を認むる者は正金を離れて紙幣や手形が價値を有すると思ふ者と選ばない。古來多數の哲學者は此弊に陷つて居る。具體的の經驗を閑却して抽象概念のみをいぢくりまはして居る學者の知能は、金庫を空にして紙幣や手形のみを濫發する銀行同樣、早晩破産を脱れぬであらうと。斯うショーペンハウエルは言て居る。
今日哲學上に於て、此の空紙幣の弊や、流通後れの紙幣を後生大事に貯藏せんとするといふ樣な弊に對して、之を救はんとして出でたる者の一が即ち「プラグマティズム」である。或「プラグマティスト」の濫造と認むる者が眞に悉く濫造であるかは愼重の考査を要する問題であるけれども、哲學なるものが往々生きた哲學的良心を代表せずして形式的に流るゝことがあるといふは事實である。「プラグマティズム」は此弊處を衝いた者として大なる意味を有すると思ふ。而して懷疑論者の排哲學の聲も亦此弊に對する矯激の聲である。懷疑論者は正金を代表せざる紙幣を破棄せんとする者である。併し、單に此處に止まらずして、更に進んで正金を代表して居る紙幣までも破棄せねばならぬと叫んで居る。第一の點に於て懷疑論は意義を有する。併し第二の點に於ては誤つて居る。昔、「エレア」學派の哲學者は經驗の世界を説明せんとして起つた哲學をば全然經驗界に絶縁せしめ、哲學上の原理を立てんが爲めに經驗界の存在をば全然否定して了つて、而して此經驗界を犧牲にして想定したる所謂「實有」といふものをば力を極めて保持しやうと力めた。「エレア」の「實有」はショーペンハウエルの所謂空の紙幣である。「エレア」派より出でて而かも此「實有」は空なりと叫んだゴルギアスは初めて之に氣着いたのである。併し、單に「實有」は空なりと叫んだのみならず、凡てが空なりと叫んで徹底した虚無説を説いたのは、凡ての紙幣の意義を滅却したる極端の説である。今日の懷疑説の態度も又頗る之に類して居る。
以上は哲學に付て言つたのでありますが、宗教や道徳に付ても同樣のことが言へると思ふ。今日の宗教上の形式や[#「今日の宗教上の形式や」に傍点]、説教や[#「説教や」に傍点]、又は宗教家の口舌の上で説かれて居ることがどれ丈け現實の生きたる宗教的經驗を代表して居るか[#「又は宗教家の口舌の上で説かれて居ることがどれ丈け現實の生きたる宗教的經驗を代表して居るか」に傍点]。今日の道徳上の形式や[#「今日の道徳上の形式や」に傍点]、説教や[#「説教や」に傍点]、又た道徳論者の口舌の上で説かれて居ることがどれ丈け世人の人格の經驗より湧出でたことであるか[#「又た道
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