るを顧みようとはしません。「悪」にあらずんば「愚」なりというのほか評すべき言葉がありません。明治の間役人が各方面ともに指導的態度を保持することができたのは、全く当時の例外的の事情にもとづくのであります。一方においては官民こぞって西欧文明の追随に腐心した時代であること、他方においては役人が一般に西欧文明についての先覚者であったこと、それが彼らをして指導的地位に立つことをえしめ、またはこれを余儀なくせしめたのです。ところが大正の今日は、全く事情が変わりました。もはや国民と役人との間にはなんら知識の差等がありません。国民は今や、役人の指導をまつことなしに、自由に考え自由に行いうるに至ったのです。
 しかるに役人がそれをさとらずに依然として従来の指導的態度を維持せんとするがごときはきわめておろかである。いわんや精神を失った「伝家のさび刀」によって、それを行わんとするに至っては言語道断であります。今やわれわれ日本国民は疑いはじめた、みずから考えはじめた。多年の間もっぱら役人によって指導されつつ盲目的に突進してきた国民は今や目ざめてみずから考えはじめたのです。しかも因襲の久しき多数の国民はみずから
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