一小事として軽視することができましょう。相手は「彼」一個人ではないのです。「国家」そのものです。この当該事件については「彼」の目、「彼」の頭がすなわち「国家」の目であり頭です。「役人の頭」を問題にしないで何としましょう。
四
「役人の頭」だからといってわれわれ人民の頭とたいして違うわけはありません。だいたい同じような境遇に育ち、同じような教育を受け、同じようなものを食って生きている以上、「役人の頭」だけが特別なわけはない。彼らもわれわれと同じように、美しきを見ては美しと思い、悲しきを聞いては悲しと思うに違いありません。
現在のいわゆる「法治国」においては役人はだいたい「法律」でしばられている。したがって、あまりわがままのきかぬようにはできあがっている。しかし、それでもまだかなりひろい範囲において自由裁量の権限を与えられています。すなわち役人は常に必ずしも「法律」という既定の標準のみによって事を裁断する必要なく、いつでもある程度においては自己の意見を加えて、自由の裁断をなしうるようにできています。しかも、その役人の自由裁量によって、われわれ人民は貴重な財産、自由、名誉、生命などまでをも奪われるようにできているのです。「法治国」とはいうものの実は恐ろしい話である。それにもかかわらず、われわれ人民が比較的驚かずに安心して生きているのは、彼ら「役人の頭」もだいたいわれわれ人民の頭と同様であろう、われわれが美しいと思うものは彼らも美しいと見てくれるであろう、またわれわれが悲しいと思うものは彼らもまた悲しいと聞いてくれるであろう、とこう思えばこそである。われわれは役人もまたわれわれとだいたい同じような心意作用をもつであろうという信頼のもとに、とにかく安心して生きているのである。
「役人」はわれわれ人民にくらべて特別に上等だとか、特別に公平だとか、特別に国に忠義だとかいうように考えて、彼らに信頼しているのではない。もしも、そんな特別なものであって、われわれ普通の人民とは全然別個の世界に住んでいるものだとすれば、われわれは「役人心理学」とでもいうような特別な講義をきいた上でないと、安心してこの世に生きながらえることができないわけです。しかるに幸いにも、われわれ人民が特にかかる講義をきく必要もなく、また特に法律の知識がなくとも、だいたい良心と常識とに従って行動して
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