ところに従って、形式的に行動していさえすればいいと考えるような、忌むべき現象を生ぜしめた。しかしながら、かくのごときは、かかるみずから確信なき役人の行為によって取り締まられる国民にとっては、きわめて迷惑であるのみならず、役人をして道徳的に堕落せしめるゆえんだと私は確信します。下役の役人が行動するにあたって、ただ単に「上官の命令なるゆえに」と考えるだけで、みずからなんらの自信もないならば、そのそとに現われた行動はいかに形式上合法的にできていても、真に人民を服することのできるわけがありません。また役人が日夕かくのごとき行動を繰り返さねばならぬとすれば、ついには彼らの道徳心が麻痺するに違いありません。真に人間らしく「良心」と「常識」とをもととして考えようと努める代りに、とにかくうわべだけ上官の命令を奉じているようにみせかけていさえすればいいというようになるに違いありません。そうして私にはどうも現在の役人がもはやその弊におちいりつつあるように思われてならないのです。下役人がサボる、不正をやる、人民につらくあたる。われわれは毎日そういういやなうわさを耳にします。そうして上役人は「綱紀粛正」とか称して下役人をしばったり督励しようとしているといううわさを耳にします。しかし私をしていわしむれば、それは決して下役の罪ではない。下役といえども飯を食わねばならぬ。その下役をして道徳的に自信のない行動をむりやりにやらせて、事久しきに及べば、彼らが道徳的に堕落するは当然です。したがって彼らをして堕落せしめたのは実に上役の罪であると私は思います。下役が道徳的に同感であろうがなかろうが、むりに事を命じてやらせる。その当然の結果として上役の目を盗むことができさえすれば何をやってもいいという考えを生ぜしめる。それはちょうど法律のむりな強行がややともすれば人民の徳性を害し、法律に従っていさえすれば何をやっても差支えないというような考えを生ぜしめやすいのと同じです。
 この意味において現在の役人は、一には法律によってしばられ、二には上役の命令によってしばられた、きわめて困難な気の毒な地位にあるのです。しかもその「役人の頭」のみが今の国家をして長く活力あらしめる唯一の保障であることを考えると、役人の責務のきわめて重いことを感ぜずにはいられません。ここにおいて私は、一方には立法府および上役に向かってその法律
前へ 次へ
全22ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
末弘 厳太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング