がすなわちそれです。しかし、彼らの「復古」はただ昔の「さび刀」をたち切った上新たにこれによって新武器をきたえあげたのではありません。それがためには彼らはあまりに独自力が足りないのです。

       一二

 明治の役人は人民の指導者でした。彼らは先覚者でした。彼らは知識において一般国民よりもすぐれていたのはもちろん、道徳的にもまた国民の儀表たるべきものとしてみずからも任じ人もまたこれを許していたのである。少なくとも彼らはかくあるべきものとして一般に要求されていたのである。しかし当時のわが国はもっぱら西欧文明のあとを追うことにのみ忙しかったのであるから、多少なりとも普通人以上に欧米の事情に通じ、その文化を理解することのできた者は、先覚者として役人として人民を指導することができたのです。
 ところが、その役人が今日ではもはやひたすら西欧文明を追ってさえおればいいということではなくなりました。ことに最近、欧州文化の行きづまりとその新たな転向とは、わが国の伝統主義者をして従来のごとくひたすら彼を追うことの危険なるを感ぜしめました。今まで、彼が楽園だと思ってめざしていたものが、たちまち地獄にみえだしたのです。ここにおいて、彼らは急にわが国にはわが国独特の目標がなければならぬということを高調するに至りましたけれども、元来単なる模倣者、輸入者たるにすぎざりし彼らには遺憾ながら創造力がとぼしい。独自性が足りなかった。それがため、彼らはそのみずから高調するわが国独特の目標を自力をもって創造することができないで、再び「伝家のさび刀」をかつぎだしました。そうしてそれに「淳風美俗」とか「剛健質実」とかいう名をつけて、これこそは国民を指導すべきわが国独特の目標であると唱えはじめたのです。そうして、彼らが明治において行った指導的職能を今日もなお保持し実行せんとしています。なるほど、彼らの主張する「淳風美俗」も「剛健質実」も、それ自体たしかにいいことに違いありません。しかしながら、この刀は彼らみずからがあまりに長くこれをしまっておいたために、お気の毒ながらさびています。また彼らがその刀をしまっておいた間に、世の中はもう遠く刀の時代を去って、一六インチ砲や飛行機の時代となりました。もしも、彼らの刀がさびていない精神のこもったものであるならば、あるいはこれをもって一六インチ砲と戦うことができるか
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