その国家はわれわれ普通の人間にとって親しみやすい交際しやすいものでなければなりません。普通の人間が相互の交際において法律をふりまわせば必ずつまはじきをされる。なぜならば、その人は他人にとってきわめて交際しにくいからです。しかるに、役人が法律を盾にとって自己の不穏当な行為をかばうようなことがあれば、それはすなわち彼によって代表された国家みずからが法律をふりまわしたことになります。彼が国民によってつきあいにくい奴だと思われるのはきわめて当然のことだといわねばなりません。
 役人は法律によってしばられたきわめて仕事のしにくい気の毒な地位にあるのです。ですから役人が法律を適用して本来「良心」と「常識」とに従って行動した人々をして法に触れることなからしめる苦心に向かっては大いに敬意を表します。しかし、さらばといって、自己の不当処置をかばう盾として法律を使うことは絶対に許されない。なぜならば、かくのごときは実に国家をしてつきあいにくい奴たらしめるゆえんだからである。
 国家もまた普通の人間と同じように「良心」と「常識」とに従って行動しなければならぬ。しからざれば必ずやその威信を失墜します。国民は彼を信じなくなり、愛しなくなります。そうして国家をしてかかる行動をなさしめるものはただ一つ「役人の頭」あるのみである。役人はその役人たる地位にあるときも普通の人間のごとく考えねばならぬ。かくしてこそ国民は彼とともに喜び、彼とともに泣くのである。ここにおいて私は、『大学』の中にある「天子より庶民に至るまですべて身を治むるをもって本となす」という言葉の意味深遠なるを思わざるをえないのです。

       一一

 以上の私の議論に対しては必ずや次のような非難がありうると思います。私の議論は全く国家の指導的職能を忘れていはしないかという疑間がすなわちそれです。しかし私はその点を忘れてはいない、否、大いに考えているのです。
 私といえども国家に指導的職能あることを認めます。そして国家がその種の職能を最も明瞭にかつ大仕掛けに実現した事例は実にわが国の明治時代だと思います。幕末に至るまで永く東海の孤島に孤独平安の夢をみながら眠っていたわが国は明治維新とともに目ざめました。目ざめてみると、われわれの外部にはわれわれがまだ一度も見たことのない物質的ないし精神的の偉大な文化の花園がひろく美しく咲きほこっ
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