と、「人間の世界」と違った考え方をするようになる。むろん、その昔、役人が「人間の世界」とは全く離れた「役人の世界」に住んでいたころには、その全生活が公私ともにすべて「人間の世界」のそれとはかけ離れたものでありました。これに反して、今の役人は「法律の世界」に入ったときだけ特別な考え方をする。そうして一時「人間の世界」から離れる。または少なくとも離れねばならぬもののように考える。これははたしてなにゆえであろうか。
 その原因はいろいろあります。しかし、そのうち最も大きい原因は、すべていかなるできごとでもそれが役人の目に触れるときにはすでに「法律の世界」のことに化していることにあるのだと思います。元来は人間の世界に起こった事柄でも、それが役人の目に触れるのはいよいよ役所の門をくぐってからである。したがって役人がひとたび役所の門をくぐると、「法律の世界」のこと以外なにものにも接しなくなる。そこで「人間の世界」にあっては、よき夫であり、よき友であり、よき市民である人も、ひとたび役人として行動することになると、ともすれば「法律の世界」に特有な考え方のみをするようになるのです。そうして役人は公私を混淆してはならぬとか、公平無私でなければならぬとかいうような言葉の形式のみにとらわれて、根本はどこまでも「人間」らしくなければならぬ、ただその上さらに、いっそう公平無私となり、公私を混淆せざることにならねばならぬ、という根本義を忘れがちになります。
 ことに、法治主義のもとにおける役人は法律によってかなりの程度に裁量の自由を制限されています。したがってうっかり融通をきかせた処分をやってしかられるよりは、まずまず法律の命ずるところを形式的に順奉していさえすれば間違いがない。そのほうが得である。第一、骨が折れなくていい。役人が一度こう考えたが最後、彼はただ法律を形式的に順奉することだけを心がけるようになり、法律の目的や役人の職分を忘れるようになる。ここで立派な官僚が出来上るのです。
 元来、法治主義はあらかじめ法律を決めておいて役人の専恣を妨げ、これによって人民の自由を確保する目的でできた制度である。しかるに、その法律がかえって役人の官僚的な形式的な行動に対する口実となってしまう。かくのごときは決して法治主義本来の目的ではなかったのです。しかし一方において役人を法律によってしばれば――ことに
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