ない学者の法哲学には、そういう傾向が強い。
第三に、明治このかた我が国の法学教育においては、一般に法史学と外国法が教科目に加えられているが、それらが、教育の主要部分をなしている解釈法学といかなる関係に立つかについては、時代によって考え方の変遷が認められるのみならず、現在でも、学者によって考え方が違っているように思われる。理想の法学体系を考えてみれば――後に述べるように――、法史学および比較法学の研究を通して与えられる法および法に関するデータを豊富に持つことは、我々の法に関する視野を広めるとともに、法的思惟を深めることに寄与し、それがやがて解釈法学にも、また、立法上にも非常に役立つこととなるのは勿論であるから、これらの研究および教育を、もっと法学全体との関係を考えて根本的に考え直してみる必要があるように思うのである。
以上のように考えてみると、現在我が国の法学は、全体として何となく科学的に体系化されておらない。教育の中心をなしている解釈法学の教育にしても、ただ前々からの伝統を追って行われているだけであって、教育は本来の目的を十分に発揮していないように思われるのである。そして、このこと
前へ
次へ
全35ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
末弘 厳太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング