しば書かれている。
 その一つは「判例法」であるが、従来一般の考え方によると、裁判は法令により法令を解釈するによって与えられるもので、それ自身法を作るものではない。そうだとすれば、裁判から法が生れる筈はあり得ないし、判例を根拠として裁判するのも、法によって裁判するのだとは言いがたい訳である。それにもかかわらず、判例法の存在は多くの学者の認めるところであり、現に、判例を根拠として裁判を与えている事例も、実際に少なくない。そして、学者は一般にそれを肯定しているが、その理由に関して十分我々を納得せしめるに足るだけの説明が与えられていないのが現在の実情である。
 次には、「条理」、もしくは「条理法」という法が別にあって、裁判はそれによって与えても差支えない、更に進んでは、法令の解釈から出てくる法が条理と矛盾する場合には、むしろ条理によって裁判すべきであるというような主張をしている学者も少なくないのであるが、その理論的根拠に至ると、人によってその説くところが必ずしも一でないのみならず、それらの説明の中にも、十分我々の理性を満足せしめるに足るものを多く見出しがたいのが実情である。
 八 以上に説明
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