立つと思う。
(1)[#「(1)」は縦中横] 先ず第一に知らねばならないことは、法令はすべて解釈を予定して書かれていることである。無論、個々の法規のなかには、普通の国語知識を持っていさえすればその法的意味を正しく理解し得るものもあるけれども、それはむしろ稀な場合であって、法令法規の大部分は解釈を予定して書かれており、解釈を通して初めて法が何であるかを知り得るようにできている。これは初学者にとっては恐らく不可能なことで、法令が完全にできていさえすれば解釈を容れる余地はないように考えるであろう。現にナポレオン皇帝でさえ、彼の民法典に初めて解釈を加えた本を作られた際に、「わが法典失われたり」という嘆声を発したと伝えられているくらいだから、初学者がそう考えやすいのは至極尤もなことである。
ところが、解釈の必要は法令そのものの本質から来るのであって、一見簡単に見える法規でも、解釈を通して初めて、その法的意味がわかるようにできているのが普通である。いわんや、いくつかの法規の組合せでできている法令は、法規相互の間に一定の脈絡をつけて全体が論理的に矛盾のない一つの統一体をなすような仕組で作られているから、法学的素養のある人の解釈を通してのみ、その法令全体の意味も、また一々の法規に含まれている法が何であるかもわかり得るのである。
理解を助けるために一つの例を引くと、刑法第二三五条の「他人ノ財物ヲ窃取シタル者ハ窃盗ノ罪ト為シ十年以下ノ懲役二処ス」という規定のように、一見平明に見える法規でさえも、これを実際に起る個々の具体的の事件に当てはめることを目的として解釈してみると、一つ一つの言葉の意味について、例えば「財物」とは何か、「他人ノ[#「他人ノ」に傍点]財物」とは何か、また「窃取」とは何かというような具合にいちいち疑問が起り、それをどう解釈するかによって、一定の行為が窃盗罪としてこの規定の適用を受けるかどうかが決るようにできているのである。
それでは、どうしていちいち解釈を経なければ法が何であるかが解らないような法規を作るのか、もっと平明に法そのものを法規として書き表すことはできないものであろうか。それは要するに、世の中の出来事が複雑多岐を極めているから、そのすべてを予想してその一々に適用される法を法規にしようとすると、非常に複雑な法規を作らねばならないことになり、また、たとえ
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