職業的法律家になった人々はもとより、普通の役人や会社員などになった人々にとっても、かかる特殊の能力を持っていることが、彼らの職業人としての特色をなしているのだと私は考えている。
 それでは、現在我が国の法学教育は、その目的のために何をなしつつあるか、また現在法学は、いかにしてその目的に役立っているであろうか。
 この問に答えるために、現在大学で行っている法学教育と法学者によって書かれた著書論文を概観してみると、第一に、内容的に言うと、それは大体、(1)[#「(1)」は縦中横]現行法令を解説したもの、(2)[#「(2)」は縦中横]法制史、ローマ法というような法制の歴史に関するもの、(3)[#「(3)」は縦中横]外国法もしくは比較法学的のもの、(4)[#「(4)」は縦中横]法哲学、法社会学等の名で法に関する一般理論を説いているもの、の四種類に分れている。
 第二に、形式的に言うと、法学書のほとんどすべては解説的に書かれており、直接法学的能力の訓練を目的とする形で書かれていない。大学の教育も大部分教説的であって、僅かに演習というような形で直接能力の訓練を目的とした教育が多少行われているにすぎない。
 それでは、こうした内容、こうした形式の教育や法学書が、いかにして法学的能力の訓練に役立っているのであろうか。これを理解することは、法学入門者にとって極めて重要であって、さもないと、ややともすると講義や教科書で解説されているものを暗記し、もしくはたかだか理解することが、法学学習の目的であるというような誤解に陥りやすいのである。
 七 現在法学教育の大部分は現行法令の解説から成り立っており、法学書も大部分は現行法令の解説に当てられている。これらの解説が現行法令の内容を教えることに役立つのは言うまでもないが、法学教育の見地から考えてそれよりも重要なことは、「解釈」の名の下に法令から法を導き出し、もしくは構成するために使われている「技術」を習得することである。
「解釈」の本質、また「技術」の使い方等については学者のあいだにかなり意見の開きがあって、その詳細を今ここに説くことはできないけれども、解釈技術を体得することは一人前の法律家たり得る最小限度の要件であるから、以下に問題の要点を簡単に説明する。初学者がこの点を一応心得た上で講義を聴いたり教科書を読めば、法学的能力を養う上に非常に役
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