習得して、これを自分のものにするよう努力しなければならない。
 従って第二に、折角大学に入った以上、極力講義に出席して、毎日毎日の努力で法律的考え方の体得を計らなければならない。無論、読書によってこの考え方を習練することも決して不可能ではないけれども、聴講によるのに比べると非常に困難である。平素はあまり講義に出席せずにプリントや教授の著書で試験勉強をしても、考え方の力がつかないから駄目である。力というものは、毎日毎日の努力鍛錬によって段々に発達するものである。だから、教授のなかでも特に教育方法に注意している人々は、学生に段々と力をつけてゆくことを力める。初めは比較的容易な考え方を習得せしめ、これによって段々力がついてゆくのに連れて、複雑な考え方を習得せしめるようにしてゆく。だから入学の当初、「まだ一学期だからいい」などと呑気に構えていると、そのうちには教授の教えることの意味を理解することさえできないようになりがちなものである。学生として一番おそれなければならないのは、自分ではわかったつもりでいて、実は講義の真意を理解していないようになることであって、入学の当初になまけると、とかくこうい
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