育によって知らず識らずの間に得た法律的に物事を考える力は、少しも失われているものではない、否、むしろ実務取扱い上の経験によって発達しているのである。のみならず、その力が全く身についてしまったため、自分では特にそれを持っていると意識しないほどになっているのである。
これを要するに、法学教育は一面において、法典、先例、判決例等すべて法律的に物事を処置する規準となるべきものの知識を与えると同時に、他面、上述のごとき「法律的に物事を考える力」の養成を目的とするものであるにもかかわらず、とかく一般人にはこの後の目的が眼につかないのである。先日三上文学博士が貴族院でされた演説のなかで、法科万能を攻撃し、法学的素養の価値を蔑視するような議論をしているのも、畢竟この種の認識不足に基づくのである。法学教育を受けた人々が、実際上「法律技師」としてよりはむしろ、局課の長として用いられてゆく傾向があるのは、要するに、これらの人々が法学的素養を持っているために、多数の人を相手にして多数の事柄を公平に秩序正しく処理せねばならない局課長のような地位に向いているからである。法学教育は特にそういう力の養成を目的として
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