仰であるとか、あるいは悲しみであるとか、あるいは喜びであるとか、あるいは恋愛とか、あらゆる心理作用をもって、朝から晩まで動いているものであるから、それらの複雑な作用をも加えて万事を考えなければならぬ。理知のみを引き離して、それだけで法律現象を説明し規律しようなどとは全くだいそれた話である。むろん理知は一八世紀このかた自然科学の発達によって得たところのわれわれの既得権である。私はこれをすてよというのではない。かえってさらにいっそう徹底して大きな理知たらしめるように努力せよというのである。ただそれと同時に理知をもってなしうることの範囲はきわめて狭いのだということを、一般に悟ってもらいたいと私は思います。要するに理知を徹底してついには理知によって理知の上にまで出る。そうしてそこに本当に人間らしいなにものかを認めうるのである。今後は法律のできる人間も、できない人間も、また現在、学べる人間も、あるいは今後大いに学ばんとする人間も、このことをよく心がけてほしいと私は思います。そうすれば必ず法律の社会化というごときことも、この中央法律新報社の努力とあいまって、漸次に実現されるであろうとみずから信じて
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