ものでも、人をしてなるほどと思わせるなにものかが自然にこもっている。理屈のみを法律と思っている人は必ず陪審制度に反対するのであるが、しかし陪審制度を設ければ、理知を超越したなんともいえないおもしろみが、必ず裁判の中に出てくると思う。日本の陪審制度反対論者はただときたま出てくる悪いところばかりをとらえて、やれカイヨー夫人が無罪になったのは陪審官を買収したのだとか、アメリカのシカゴにおいては女が男を殺しても死刑にならないとか、いかにも日本人には悪く聞こえるようなところだけを伝えるのです。しかし裁判は理屈だけのものであるか、それとも理知を超越したなにものかが附け加わってできるものであるか、この点をよくよく考えてみると、陪審制度というものもそう一概に排斥すべきものではなくて、私はむしろこれが裁判を人間らしくすることのいとぐちであるように思います。
三 人間味のある法律はどうしたらできるか
次に、どうしたらもっと人間味のある適切な法律を作ることができるか、という問題を考えてみたいと思います。
現在わが国において法律がいかなる手続で作られるかというと、まず司法省なりその他の役所で
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