一には、裁判所を通しておりおり法律の存在を知らしめられる。第二には、議会が開かれて、法律の出来上るのをみると、誰しもなるほど法律があるということに気がつきます。また第三には、学校へ行って法律を教えられる、なるほど法律があることをたしかに感じます。これがまず普通われわれが法律の存在を意識する最も主な場合です。それでこれからこの三点を順序にとらえて、一々これに人間味を注射する法を考えてみたいと思います。
二 人間味のある裁判はどうしたらできるか
昔の裁判にはなんとなく人間味がありました。例えば大岡越前守の講談などを聞くとつくづくそういうことを感じます。それで私はいつもその理由がどこにあるのかをいろいろと考えているのです。
そこでまず第一に考えたのは、いったい裁判官が裁判をするにあたっては事件を審理した上で結論が先に出るのだろうか、それとも法文と理屈とが先に出てその推理の結果ようやく結論が出るものだろうかという問題です。この問題は日本の裁判官はもちろん外国の裁判官にもしばしばたずねてみました。ところがこれに対する答えはほとんど常に「結論が直感的に先に出る、理屈はあとからつけ
前へ
次へ
全31ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
末弘 厳太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング