ものをもとにして、法律を教えるがいい、そうすればひとり学生みずからをして自発的に法律を発見し学ばしめることをうるのみならず、理屈ではとうてい説明のつかない法律の機微を学生に教えこむことができて、いわば一挙両得になります。ですからこれからの法学教育はこういう方向に向かってしかるべきだと私はかたく信じます。

     五 結論

 これでだいたい私のお話は終ったのですが、体裁のために簡単に結論をつけておきたいと思います。
 今まで申しましたところを要約すると、こういうことになります。理知はよろしい、理屈も知恵もよろしかろう。しかしながら小知恵ではだめだ。理知も徹底したのでなければだめだ。これに反して徹底した理知ならば必ず人間らしいものになる。いったい世の中のことは、理知で解きうる範囲は実にきわめて狭いので、少し行けばすぐ突き当るのである。しかし少なくともその理知だけでも徹底するように努力せねばならぬ。それが今の法律学者に対する私の要求の一つである。その次は理知はみずからその身のほどを知れ、理知によって進みうるところは広くはない、人間というものは理知だけで動いているものではない、あるいは信仰であるとか、あるいは悲しみであるとか、あるいは喜びであるとか、あるいは恋愛とか、あらゆる心理作用をもって、朝から晩まで動いているものであるから、それらの複雑な作用をも加えて万事を考えなければならぬ。理知のみを引き離して、それだけで法律現象を説明し規律しようなどとは全くだいそれた話である。むろん理知は一八世紀このかた自然科学の発達によって得たところのわれわれの既得権である。私はこれをすてよというのではない。かえってさらにいっそう徹底して大きな理知たらしめるように努力せよというのである。ただそれと同時に理知をもってなしうることの範囲はきわめて狭いのだということを、一般に悟ってもらいたいと私は思います。要するに理知を徹底してついには理知によって理知の上にまで出る。そうしてそこに本当に人間らしいなにものかを認めうるのである。今後は法律のできる人間も、できない人間も、また現在、学べる人間も、あるいは今後大いに学ばんとする人間も、このことをよく心がけてほしいと私は思います。そうすれば必ず法律の社会化というごときことも、この中央法律新報社の努力とあいまって、漸次に実現されるであろうとみずから信じているしだいであります。そうしてこのことはひとり法律家の腕のみをもってできることではない。国民がみな一様にその考えでなければ不可能である。法律は一部の限られた人間のものでもなければ、権力階級のものでもない、われわれのものである。だからこの法律が真にわれわれの法律であるということが本当に実現される時代が一日も早く到来するようにわれわれは一致協力しなければならぬ。いささかこの意味において愚見を述べたしだいであります。



底本:「役人学三則」岩波現代文庫、岩波書店
   2000(平成12)年2月16日第1刷発行
初出:「嘘の効用」改造社
   1923(大正12)年7月3日発行
入力:sogo
校正:noriko saito
2008年4月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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