恵をふるって書いたのでは、いかに立派な小知恵の持ち主にやらせてもうまくいくわけがない。そうしてその案がやがて同じく知恵一点張りの法制局あたりをまわった上議会を通過する、これではたしていい法律ができるでしょうか。私は大いに危ぶむのです。それでは真に社会の実情に適合した法律のできるわけがないのです。それから次に今の立法者――世の中でいわゆる官僚と称される方々――は非常に世論なるものをばかにしておられます。ですから法案はなるべく秘密にすればするほどいいと考えておられます。なるほど世論は理屈に合わないものです。しかし世の中のことをすべて理屈に合わせようと思えば、しゃくにさわって仕方がなくなる、できない相談だからです。しかしながら、法律は理屈だけで動くものではないと同時に、世論といえども決してばかにすべからざるものである。決して軽視することは許さざるものである。世論は理屈の代表者ではない。しかし世論にはなんともいわれない大きな価値がある。そこに人情の機微に触れた微妙な力強いところがあるのです。それを基礎にして法律を作らないで、どこに人間の気持ちに合う、本当の法律を作りうるか。法案を立てる人が、我輩はかく書いた、これより以上によいものはない、世論など衆愚のいうことがなにになるか、というような調子で、学者のこれに対する公平な批評すらきらうというに至っては、いったい国家民衆のために法律を作るのか、自己のヴァニティーのためにむりに我を押し通すのかわからなくなります。かかる結構な法律のもとで租税を納めるわれわれこそ実に迷惑千万な話であります。
 私はこの点が一日も速やかに改良されて、もっと念入りに小智をたのまずに、真に人間味のある法律が作られるようになることを希望してやまないのです。

     四 もっと人間味のある法律の教え方はないものか

 終りに、もっと人間味のある法律の教え方はないものか、それを簡単に考えてみます。このことは今日のお話の初めにも詳しく申しましたが、今日わが国で学者の学生に教えるところはただ抽象的な理屈だけである。ところが法律は理屈だけでできているのではないから、学生に本当の法律を教えるには、理屈を超越した、言葉では言い表わせない、味をも教えなければならないのです。それには現在アメリカでやっているように、判例を材料にしてこれを批判させてみるのが、一番適当な方法のように思われるのです。
 今、一つ日本の大審院判決を例にひいてお話をしますと、ある時ある所に一人の男がありました。ところが父の言葉にそむいてどこかのある女とよろしくきめこんで互いに一家をもった。父がいくら帰ってこいといっても帰ってこないから、仕方なく、父もそのまま放任しておいた。爾来数年を経たが帰ってこない。そこで父親は民法にいわゆる戸主の居所指定権なるものを行使した。ところがその男は頑として応じないので父親は憤慨して、一週間内に立ちもどるべし、しからざれば家から離籍してしまうぞ、という最後通牒を発した。それにもかかわらず、その男が期間内に帰らないのでとうとう離籍されてしまった。そこで今度は子供のほうからおやじを訴えて離籍の取消を請求した。その理由にいわく、一週間で帰ってこいというのはあまりにひどい、法律をみると「戸主は相当の期間を定め其指定したる場所に居所を転ずべき旨を催告することを得若し家族が其催告に応ぜざるときは戸主之を離籍することを得」とあって、わずか七日という期間はこれを相当と認めがたいと、こう息子のほうではいうのです。それを私たちが机の上で教えるときには、はたしてこの七日の期間が相当なりや否や、を適当に教えることは実際上不可能です。いうまでもなく、これは学者の領分外です。裁判所の領分に属すべきものです。ところで日本の大審院はこれをどう判決したかというと、七日の期間が相当なりや否やは一概には決められない。この息子がその婦人と数年このかた同居している。この同居している事実を父親は是認しているのか。それとも父親は今日といえども従来どおり、ひきつづいて反対しているのか。そのいずれかで結論が違う。親がもともと認めて同居していたのだとすれば、わずか一週間で帰れというのはむりである。これに反して、親が早く帰ってこいこいと始終いいつづけて反対していたのならば、一週間といえども決して短くないと、こう判決を下しております。私はこれをもってまことに人情にかなった結構な判決だと思いますが、かくのごとき解決は学者が机の上で考えてはとうてい出てきません。やはり裁判官が本舞台に出て実際の事実をみて初めて考えつく考えです。
 判決というものが、すべてこんなものだとは限らないのですが、とにかく実際の事実と離れない、いうにいわれぬ趣きのあるものです。ですから私はかようの判決をたくさん集めた
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