るがために、裁判官はしばしば monstrum の法理を応用したといわれています。
 ローマでは、たとえ人間の腹から生まれたものでも、それは奇形児で十分人間の形を備えていない場合には、法律上称して monstrum(鬼子)といい、これに与えるに法律上の人格をもってしなかった。この考えは、ローマにおいてはきわめて古くから存在したようであるが、後のユスチニヤン法典中にも法家パウルスの意見として Digestorum Lib. I. Tit. V. de statu hominum L. 14 中に収められている。ところである母が子を生んでみると、それがみにくい鬼子であった。そういう子供を生かしておくのは家の恥辱でもあり、また、本人の不幸でもあると考えて、母はひそかにこれを殺してしまった。やかましく理屈をいえば、それでもやはり一種の殺人には違いない。しかしさらばといって、その母を殺人の罪に問うことは裁判官の人間としてとうてい堪えがたいところである。社会的に考えてもきわめておろかなことです。そこで裁判官は、なんとかして救ってやりたい、その救う手段として考えついたものが、この monstrum 
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