に合致した人間味のある裁判をやることはきわめて困難な事柄です。しかも大岡越前守はそれをあえてしたのです。しかも免職にもならず、世の中の人々にも賞められながら、それをやりえたのです。
 しからばどうしてそれをやりえたか。その方法は「嘘」です。当時の「法律」は厳格で動かすことができなかった。法を動かして人情に適合することは不可能であった。そこで大岡越前守は「事実」を動かすことを考えたのです。ある「事実」があったということになれば「法律上」必ずこれを罰せねばならぬ。さらばといって罰すれば人情にはずれる。その際裁判官の採りうべき唯一の手段は「嘘」です。あった「事実」をなかったといい、なかった「事実」をあったというよりほかに方法はないのです。そうして大岡越前守は実にそれを上手にやりえた人です。
 しかし、これと同じ手段によって裁判の上に人間味を現わしたのは、ひとり大岡越前守のみに限るのではなく、おそらく到るところの裁判官は――むろん時代により場所によって多少程度の差こそあれ――皆ひとしく同様の手段を採るもののように思われます。例えば、ローマのごときでも、奇形児を殺した母をして殺人の罪責を免れしめ
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