主な動機です。

       三

 私はまず法律の歴史の上に現われたいろいろの「嘘」を二、三例示したいと思う。そうしてその「嘘」が実際上いかなる働きをしたかを考えてみたいと思います。
 法律とか裁判とかいうことを考えると、われわれは、じきに大岡越前守を思い起こします。そうして彼こそは、裁判官の理想、名法官であると考えます。今日われわれの世の中に行われている裁判がとかく人情に適しないとか、人間味を欠いているとか、または裁判官が没常識だとか、化石しているとかいうような小言を耳にするたびに、われわれは大岡裁判を思い起こします。そうしてああいう人間味のある裁判がほしいと考えます。
 しからば、大岡越前守がかくのごとくに賞賛され、否、少なくとも講談や口碑にまで伝えられるほど、その昔において人気があったのは、はたしてなぜでしょうか。私は、不幸にしてこの点に関する学問的に精確な歴史的事実を知りません。いわゆる大岡政談の中に書かれている事実のすべてが、真に大岡越前守の業績であるかどうかについて、毫も正確な知識をもっていません。しかし私にとって、それはどうでも差支えないのです。たとえ、あの話の全部が
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