う制度です。いやしくも権利侵害があった以上、そこに必ずやなんらかの損害がなければならぬ。その損害の象徴として裁判所は被害者に例えば金一銭を与えるとする。そうすれば被害者はたとえ金額は一銭でもとにかく勝訴したことになり、名目上はもちろん実利的にも訴訟費用の負担を免れるという利益がある。実際、損害の立証は立たぬ。しかし権利侵害があった以上必ず損害があったものとみなして、それを一銭という有形物の上に象徴するところがこの制度の妙味であって、「嘘」の効用のいちじるしい実例の一つです。
現在、わが国の法学者は一般に偏狭な合理主義にとらわれて「損害なければ賠償なし」という原則を絶対のものと考え、「名義上の損害賠償」のごときは英米独特の不合理な制度、とうていわが国に移すべからざるものと考えています。けれども、もしもわが国にこの制度が行われることになったならば、法律を知らぬ一般人の裁判所に対する信頼はどれだけ増大するであろうか、また不法行為法がどれだけ道徳的になるであろうか、私は切にそういう時期の至らんことを希望しているのです。しかし、それにはまず一般法学者の頭脳から偏狭な合理主義を駆逐して、もっと奥
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